なんでも自動車がだんだんクルーズ・コントロール(その用語でよいのかわかりませんが)が発達してきて、前の車輌と衝突しないとか、どんどん、レールの上の「遊園地の自動車」のようになってきている。
一方で、すべてがコンピューター制御になってきているので、ちょっとマイクロチップが不具合になったらすべてが動かなくなる。
私の世代は、「自動車が踏切などで立ち往生したら、ギアをローかバックに入れてスターターを回して逃げろ」と言われた。今は構造上とてもそういうことは出来ません。押すしかない。
昔、マンガのエイトマンで、東探偵(エイトマン)の腕が取れて、悪い奴らが研究のために持ち帰ろうとするのですが、重くて持ち上がらない。同様に最近のハイブリッド自動車はものすごく重いですから、押すのは苦しいでしょう。
私は自動車の進化の方向は、まったく違う方向でもよかったのではないか?と長年思っていました。
多くの人にとって、どうして自動車を使うか?というのは、「雨の日に濡れない」「荷物が積める」「疲れない」という理由だろうと思います。むしろFUN TO DRIVEなどと今の時代に言ってはいけないのではないか?
YoutubeのCMで「今、世界経済の牽引役として期待されているアフリカ市場」と言うのを聞きましたが、まあ「ずいぶん軽い知性の目先だけの見解だな」と思いました。いま、中国からのPM2.5などの大気汚染で、日本では地域によっては森林被害も出ている。
それが、インドやアフリカの大人口地域で、アメリカ並みの自動車社会、工業化がすすんだら、地球は環境的に破綻する。そして、中国の例を見るまでもなく、自動車というのは「後戻りが難しい中毒性」を持っている。アメリカ人などは、自転車で10分~15分の東京の有栖川公園から青山まで大型自動車で移動しますから。
そのアメリカが日本に軽自動車の枠をやめさせようと圧力をかけているのは、地球環境に対する重大な悪事であると私は考えています。
私はむしろ、軽自動車の横幅をあと10cm増やせば、小型乗用車は不要であると考えています。軽自動車は小型乗用車より儲からないので、業界の反発は必至でしょう。
それでも、地球環境的にはそうすべきだと私は考える。
先日の方も、軽自動車で福島からやってきて、日帰りされました。私も軽自動車で京都まで行った事がありますが、べつに何の問題もなかった。
FaiアLaデイZの父と言われている片山さんの誕生パーティーで、片山さんがやはり大型自動車をこころよく思っておらず、馬車やゴーカート、戦後の超小型車フライングフェザーなどに見られた方向こそが、これからの自動車の行くべき道であると思っておられたのを知って、さすがだと思いました。
電気自動車のバッテリー、それは作るのもたいへんなら、処理するのもたいへんです。
ニューヨークで自動車が廃棄されたらどこへゆくのか?ニュージャージーですか?。バッテリーなどは集められて、東アジアへもって行かれている。私はどろどろの有害物質の混じる水たまりのあるようなジャンクヤードで、ランニングシャツに素手でバッテリーが分解されている様子をみましたが、考えさせられます。そういう貧しい国の人が、そういう資源使い放題の超大国のビジネス・タイクーン(大君)の召し使いのように日本でハウスメイドをやっていたりすると、ますます私などは反感がつのる。
写真は1960年代にイタリアで作られた人力四輪車ですが、このくらいの発想でよいのではないか?これに事故などのときのためのボデイがあって、80cc~125ccぐらいのエンジンがついて、2~3人乗り、最高速度40kmまでの都市短距離移動用車輌。都心なら35kmもでれば、さほど困らないのではないか。たぶん今の技術なら重量は200kgいかないでおさまる。渋滞の1寸刻みやパーキングスピードではクラッチを切り替えて、超ローギアの運転手の人力に切り替えれば、リッター50km越えも不可能ではないように思われる。
車輌走行区分を改善し、自転車、とこうした超軽量車とスクーターのたぐい、本当の自動車のレーン。
どうせ、「本物の自動車も、自動操縦のコンピューター制御の遊園地のおもちゃ自動車化」するんだから、むしろ身体にいい自転車か、乗って面白いゴーカート状の素朴な原初的なものに乗ってはいかが?