「一生の仕事」というのは最近ききません。私自身ずいぶん仕事を変えて生き延びてきたわけですが、昔のように一つの業種で一生やってゆくことが難しい時代になっていると思います。
私は最初は、精密機械の会社にいましたが、1985~1987年前後の円高で完全に国内製造の精密機械は輸出が難しくなりました。たとえ、円が強くなっても、「そこのものを買わざるおえない」状況なら、価格上昇は本来問題ない。
ところが似たようなものが安く出てくると「悪貨は良貨を駆逐する」でよろしくない。
精密機械のほうでは、日本のなかの何社かが、図面ともども技術を隣国に渡して、「カナメの部品さえこちらで作っていれば大丈夫だ」と言っていたのですが、「そりゃあ、むこうも必死で欠けている部分のノウハウを集めて、全部自分たちでやろうとするでしょうよ。同じ人間がやっていることで、本来不可能なことではないんだから」。
ある時、アメリカのディープサウスの巨大ウエアハウスに行ったとき、うちの会社のお客だったのですが、うちの棚の隣に、お隣の国のまったく同じコピー商品が数で伯仲するくらい積んでありました。「ああ、これは勝負あったな」と思いました。
「他の商品へ転換しなければ」と、その当時(1986年)アメリカでやっと出てきた長距離トラック用のGPSを使ったサテライト・ナビゲーション(カーナビです)の機械の代理店権と、その特許の日本での独占使用権をとってきたのですが、「狭い日本でそんなものが売れるはずがない。謝罪して契約はなかったことにしてこい」と重役に言われました。あの時、私に資産があって、会社を辞めてあの使用権をもっていたら、、とたまに考えます。
しかし、そういう「転換期のものは巨大な初期投資を必要とする」。パイオニアの人たちの多くが悲惨なのは、そういう理由による。世界に先駆けて「安全」な機構の自動車を考案しつつも経済的に破綻したプレストン・タッカーの例を出すまでもありません。じつはこれは一つの国でも言えるのではないか?と言う気がしてなりません。日本は「せいふしどうのどけんや経済」から抜け出られていない。それは河川の土手がゲンパツへと、より動く金の大きいものになったにすぎない。
いまや、お隣の中国は押しも押されぬ自動車大国ですが、もし、中国がフェラーリやアストン・マーティンより速い似たようなものを作ったとき、市場の反応はどうでしょうか?ブランドとしての価値を持つためにはたいへんな時間と投資が必要です。少なくとも私は金があっても買わない。
日本は原発事故の以後、報道の分野でもずいぶん国際評価を下げた。今後10年~20年で、自国をブランド化するのに大きく失敗するか生き延びるか別れると私は思います。
私は精密機械の会社を辞めてから、契約のエンジニアと通訳で食べていたのですが、いまや「通訳」などというものもほとんど出番がなくなってきていると言えるでしょう。私は放電加工の工作機械会社へ派遣でいっていましたが、そこの会社はなくなってしまいました。じつはその手の加工機械はその会社が世界にさきがけて考案したのですが。「輸出したものは、必ず分解・分析されてコピーされる」と思ったほうがいい。
英語には「車輪を2回発明することは出来ない」ということわざがあります。放電加工の原理と理論と互角のものを人の一生のうちに2つ考案することは不可能です。ならば、出来る限り後発が出てこないように、図面も、カナメのノウハウも出さないことが重要でしょう。
しかし、自転車もカメラも家電も自動車も、そうとうな部分を日本は隣国へ教えてしまった。
あと、どのくらいの期間、日本のアニメだのゲームだのが売れ続けるでしょうか?昨年の海外の雑誌が、日本のそうしたものの市場が海外で縮小がかなり進み始めたと伝えていました。一業種が存在できるスパンはどんどん短くなっている。
1月1日から、私はトータルでテレビを2時間見ていないと思う。あまりにくだらなくて。
テレビはかつては憧れだった業種でしょうが、いまや出版と並んで疑問符がついた感じがあります。昔、雑誌界・出版界で知り合った人たちの多くが活字からも印刷からも離れて、まったく違う業種へ行っています。
そういうひとつの仕事を一生涯、、というのが難しい時代、教育はどうしたらいいのか?それの回答もこの国では出ていない気がします。
私の学生時代、なぜかスペイン語が流行していました。それから「これからはドイツ語だ」とドイツ語をやる人が激増した。ロシア語をやる人も増えた。あれから25年、30年。いまだ英語の優位はゆるがない。
このごろ日本で幼児英語がはやっていますが、「どういう英語を目指して?」と言う気がします。アメリカ人相手に英国英語を話してマイナス要因はありません。むしろ密かな嫉妬と羨望を彼らは持つ。一方アメリカの焼印の入った英語をヨーロッパ、インド、旧ソヴイエト圏、中東、エジプト、アフリカ諸国で話すとアメリカの対外外交戦略のイメージをひきずって、かなりのマイナス要因になる。
英国英語を話す人にとってアメリカ英語はやさしい。英語にはストレスアクセントとピッチアクセントがあるわけですが、アメリカ英語のピッチアクセントは英国英語を完璧に話す人からすると「無きに等しいほど単純」です。アメリカ英語を完璧に話す英国人は考えられますが、英国英語を完璧に話せるアメリカ人というのはちょっと考えられない。しかもアメリカ語というのは変化が早い。私の学生時代「A OK」などと言うのを聞きましたが(エイ、オゥケィ)、いまやそんなことを言う人は一人もいない。
ベルリンの壁が壊れたとき、ドイツ語学校が激増したのと同様、それは商売上のブームでしょう。今は中国語がドイツ語ブームに変わったようです。私の本はじつは中国語に翻訳されて出版されているのですが、一通り読んでみました。全部わかる。私の時代、漢文は靴泙派修だったので。筆談ではほぼ100%こちらの意思が通じます。
そう考えてみると、むかしの日本の、男子生徒もミシンで雑巾を縫ったり、板金でちりとりを作らせられたり、ドリルで鉄の塊に穴を開けてネジを切って鉄のシャフトを付け、それにヤスリをかけるようなことを中学校でやって、漢文を習うようなことは、それほど大きくはずしていない感じがします。
英語だのパソコンだの「短時間で追いつけるもの」の教育に大きな時間を割くべきではないのではないか?
ひとつの仕事が一生続けるのが難しい時代、変化に対応できるできる、あるいは変化に関係なく自分のものを積み上げて、追いつけない人材を育てること、この2つの重要な足がかりから、今の日本のやり方は大きく踏み外している気がしてなりません。
私は最初は、精密機械の会社にいましたが、1985~1987年前後の円高で完全に国内製造の精密機械は輸出が難しくなりました。たとえ、円が強くなっても、「そこのものを買わざるおえない」状況なら、価格上昇は本来問題ない。
ところが似たようなものが安く出てくると「悪貨は良貨を駆逐する」でよろしくない。
精密機械のほうでは、日本のなかの何社かが、図面ともども技術を隣国に渡して、「カナメの部品さえこちらで作っていれば大丈夫だ」と言っていたのですが、「そりゃあ、むこうも必死で欠けている部分のノウハウを集めて、全部自分たちでやろうとするでしょうよ。同じ人間がやっていることで、本来不可能なことではないんだから」。
ある時、アメリカのディープサウスの巨大ウエアハウスに行ったとき、うちの会社のお客だったのですが、うちの棚の隣に、お隣の国のまったく同じコピー商品が数で伯仲するくらい積んでありました。「ああ、これは勝負あったな」と思いました。
「他の商品へ転換しなければ」と、その当時(1986年)アメリカでやっと出てきた長距離トラック用のGPSを使ったサテライト・ナビゲーション(カーナビです)の機械の代理店権と、その特許の日本での独占使用権をとってきたのですが、「狭い日本でそんなものが売れるはずがない。謝罪して契約はなかったことにしてこい」と重役に言われました。あの時、私に資産があって、会社を辞めてあの使用権をもっていたら、、とたまに考えます。
しかし、そういう「転換期のものは巨大な初期投資を必要とする」。パイオニアの人たちの多くが悲惨なのは、そういう理由による。世界に先駆けて「安全」な機構の自動車を考案しつつも経済的に破綻したプレストン・タッカーの例を出すまでもありません。じつはこれは一つの国でも言えるのではないか?と言う気がしてなりません。日本は「せいふしどうのどけんや経済」から抜け出られていない。それは河川の土手がゲンパツへと、より動く金の大きいものになったにすぎない。
いまや、お隣の中国は押しも押されぬ自動車大国ですが、もし、中国がフェラーリやアストン・マーティンより速い似たようなものを作ったとき、市場の反応はどうでしょうか?ブランドとしての価値を持つためにはたいへんな時間と投資が必要です。少なくとも私は金があっても買わない。
日本は原発事故の以後、報道の分野でもずいぶん国際評価を下げた。今後10年~20年で、自国をブランド化するのに大きく失敗するか生き延びるか別れると私は思います。
私は精密機械の会社を辞めてから、契約のエンジニアと通訳で食べていたのですが、いまや「通訳」などというものもほとんど出番がなくなってきていると言えるでしょう。私は放電加工の工作機械会社へ派遣でいっていましたが、そこの会社はなくなってしまいました。じつはその手の加工機械はその会社が世界にさきがけて考案したのですが。「輸出したものは、必ず分解・分析されてコピーされる」と思ったほうがいい。
英語には「車輪を2回発明することは出来ない」ということわざがあります。放電加工の原理と理論と互角のものを人の一生のうちに2つ考案することは不可能です。ならば、出来る限り後発が出てこないように、図面も、カナメのノウハウも出さないことが重要でしょう。
しかし、自転車もカメラも家電も自動車も、そうとうな部分を日本は隣国へ教えてしまった。
あと、どのくらいの期間、日本のアニメだのゲームだのが売れ続けるでしょうか?昨年の海外の雑誌が、日本のそうしたものの市場が海外で縮小がかなり進み始めたと伝えていました。一業種が存在できるスパンはどんどん短くなっている。
1月1日から、私はトータルでテレビを2時間見ていないと思う。あまりにくだらなくて。
テレビはかつては憧れだった業種でしょうが、いまや出版と並んで疑問符がついた感じがあります。昔、雑誌界・出版界で知り合った人たちの多くが活字からも印刷からも離れて、まったく違う業種へ行っています。
そういうひとつの仕事を一生涯、、というのが難しい時代、教育はどうしたらいいのか?それの回答もこの国では出ていない気がします。
私の学生時代、なぜかスペイン語が流行していました。それから「これからはドイツ語だ」とドイツ語をやる人が激増した。ロシア語をやる人も増えた。あれから25年、30年。いまだ英語の優位はゆるがない。
このごろ日本で幼児英語がはやっていますが、「どういう英語を目指して?」と言う気がします。アメリカ人相手に英国英語を話してマイナス要因はありません。むしろ密かな嫉妬と羨望を彼らは持つ。一方アメリカの焼印の入った英語をヨーロッパ、インド、旧ソヴイエト圏、中東、エジプト、アフリカ諸国で話すとアメリカの対外外交戦略のイメージをひきずって、かなりのマイナス要因になる。
英国英語を話す人にとってアメリカ英語はやさしい。英語にはストレスアクセントとピッチアクセントがあるわけですが、アメリカ英語のピッチアクセントは英国英語を完璧に話す人からすると「無きに等しいほど単純」です。アメリカ英語を完璧に話す英国人は考えられますが、英国英語を完璧に話せるアメリカ人というのはちょっと考えられない。しかもアメリカ語というのは変化が早い。私の学生時代「A OK」などと言うのを聞きましたが(エイ、オゥケィ)、いまやそんなことを言う人は一人もいない。
ベルリンの壁が壊れたとき、ドイツ語学校が激増したのと同様、それは商売上のブームでしょう。今は中国語がドイツ語ブームに変わったようです。私の本はじつは中国語に翻訳されて出版されているのですが、一通り読んでみました。全部わかる。私の時代、漢文は靴泙派修だったので。筆談ではほぼ100%こちらの意思が通じます。
そう考えてみると、むかしの日本の、男子生徒もミシンで雑巾を縫ったり、板金でちりとりを作らせられたり、ドリルで鉄の塊に穴を開けてネジを切って鉄のシャフトを付け、それにヤスリをかけるようなことを中学校でやって、漢文を習うようなことは、それほど大きくはずしていない感じがします。
英語だのパソコンだの「短時間で追いつけるもの」の教育に大きな時間を割くべきではないのではないか?
ひとつの仕事が一生続けるのが難しい時代、変化に対応できるできる、あるいは変化に関係なく自分のものを積み上げて、追いつけない人材を育てること、この2つの重要な足がかりから、今の日本のやり方は大きく踏み外している気がしてなりません。