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Channel: 英国式自転車生活
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季節を愉しむ

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人間も動物のうちですから、天気が良いと幸せな気分になる。これは不思議なもので、寒い中、燃える暖炉や囲炉裏の火があるような場所で、外の風が戸をがたがた言わせているのも、またやはり安心感がある。

これは動物的な本性だろうと思う。冬眠、冬ごもりにちょうどよい樹のほこらをみつけた鳥のような気分を、人間もこころの奥底で知っているのだろう。

春はだんだん自然が息を吹き返してくる。そういう中で、のどかにお弁当でも広げて、のびのびと自然を楽しむというのは、自転車と折り合いが良い。

クルマで出かけて、クルマを停めてお弁当を広げるというのは不釣り合いな気がする。英国の自動車には60年代までは、ピクニック・テーブルというのが付いた、クルマの中でお弁当というスタイルがありました。

『自然の中で何か食事をする』というのは、じつは我々が考えている以上に重要な意味があるのかもしれないと思う。実際、ウルトラモダンな建築の中で、超豪華な食事が運ばれてきて、、それが沁み込むような滋養の味わいがあるか?というと私の経験から言って、それほどでもない。逆に、『この先は自転車で三時間ぐらい行っても食堂とか食べる場所はありませんよ』と言われて、握り飯をつくってくれたのを持たされた。その手造りの梅干しと言い、漬物といい、忘れがたく美味かった。これなどは料理の心遣いとともに、外でお茶を淹れて食べたことの相乗効果だろうと思う。

クルマやバイクと違って、自転車は停めて食べる場所を見つけやすい。

春の日差しのなか、幸福感につつまれて野外で食事、お茶。これは人間としての一番深い所に響いてくる。自転車がいかにヨーロッパ製の高級車で、どこかの店でパスタを食べたところで、やはりそれは、『原初の喜び』とは違ったものだ。

これは桜の花の下で宴会をやるのとも違う。独りでもよし。2~3人で清談もよし。昨日は海外の2人の友人からメールが来た。一人からには、私もよく知る友人の墓碑銘の写真があった。『美しく、愛され、神の中に生き、to die is Gain』最後の行は複数の意味が重ね合わされているので、日本語にならない。

SHIは必要な終わりであり、到達であり、勝利である、さらにそこからさらなる高みに登ったというような意味がある。

もう一人はアジア歴訪中で、もはや親戚もいないので、もう、アメリカへは帰らないという。そんな場所があるとは知らなかったが、彼女の郷里は昔、政府が「倍汚ケミ刈る飢えポン」の開発試験をしていたエリアで、いまだにフェンスが立ち、危険なので立ち入りが禁止されているところがあるという。そのエリアはきわめてガン患者の発生率が高いのだそうだ。

その彼女、自分の部屋のバルコニーから仏塔が見える。バルコニーのはしには鳥が巣を作っているという。そういう場所で歳をとってゆくのが幸福と見切ったのだろう。

さて、私は?春の日差しの中で、生きている幸福を味わい、花が自然に咲いているように、今ある自分をいつくしむほかはない。

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