Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

名前というレッテル

$
0
0
高校生の時、藤田嗣治のひとこと『その人の評価はKAN-OKEのふたがとじられたところではじめてわかる。一生のうちの仕事の総量というようなことからもはかられるべきだ』というのを読んで、『これはどうかな~、正しいか正しくないか、意見保留~♪』とした。

その当時は、山あり谷ありの中で、その人の一生の頂点を極める仕事を見て、それでことが足り、その一点で評価が決まると私は考えていましたから。

もし、ミケランジェロがロンダニー二のピエタしか残さなかったら?ゴッホが馬鈴薯を食べる人たちを描いた後で筆を折っていたら?

そのあと、たまたま北斎の作品をまとまってみる機会があって、これだけ多様な顔を持つ北斎は、その量からもまったくの別次元の人だ、と思った。

同じころ、私の絵の師の作品を展覧会用に選んでくれという話があって、アトリエですべてを片っ端から見た。そこでも、やはりただ事ではない量があって、私は驚いた。

その量がどのくらいすごかったかというと、菖蒲の色紙があったのだが、それが床から1m50cmぐらい平積みされていた。ほとんどすべてが菖蒲の絵なのです。『一度で気に入ったところまで追い込めないので、同じ主題をそのくらい何回も描いていた』。量は質を変える、とはよく言ったもので、最後の頃にはりきみもうまく描こうという気負いもすべて蒸発して、海の流木のようになっていた。

クマガイさんと仲の良かった小林先生が、『彼の超絶の技術のうまさがきわだって見える絵は捨てるか燃やすかする』と言ったので、ギャラリーで大喧嘩になった。議論で徹底的に叩き潰して、彼は県立美術館での回顧展の絵の選定から外された。

私は作品というのは『魚のたまご』のように、時間的ななかでずいぶん失われるものがあると考えている。また、評価の変化の中で、浮上するものと沈むものがある。コローなどでも、存命中は林の中でニンフが飛び跳ねているような絵がもてはやされたが、20世紀に入ってからは人物画や風景画の中でも的確な色価で描かれた絵が高く評価されるようになった。

その意味で、その時々の頂点のものが残るのは、後世の人たちにとっては喜びだろう。世の中の財産だ。

一方で、すべてが静止した、人生終了した人の場合、作品も人生もそこから生きはじめ、意味を変えて来る。先の藤田嗣治を日本にいられなくした批判者たちの画家は、すでに多く、その名前が忘れられている。

その人の『本質はレッテル、つまり使っていた名前の中にはない』のが普通である。

その名前に自分の真実をこめようとするから、古代中国では本当の名前と、一般に使う名前を使い分けた。ほんとうの名前は、俗世間で汚されないようにした。その人の本性だから。

日本でも、泥んこ遊びをしたり、手づかみでものを食べていた幼少時代のことが、自分の本質的なレッテル、名前に入るのを避けるため、元服の時にこども時代の名前を捨てた。

北斎が定期的に名前を変えたのは有名だが、なかには『画狂老人卍』とか一般の人にはなじみのない名前も多い。彼は引っ越し魔で、引っ越しするたびに名前も変えているのと改名にはどこか通じるものがある。これは名前に縛られるのを嫌ったのだろう。たとえば『美人画の◎×』とレッテルを貼られたら、トカゲや亀、ヘビばかり描いていたい人なら、不自由で困る。

北斎の場合、改名のたびに、それまでの自分の名前に自分を入れられない新境地を開いた。

最後の最期、『じつはあの人はこういう人だったんだよ』と名前を変える。それは現在使われていない、もう変化することのないラテン語で学名を付けるように、その人の一生を集約した名前を付けた。

それは天皇から送られる諡号であったり(~~大師のような)、買いミョーだったりするわけです。

芸事の世界では名前を襲名する。この場合は『看板』『老舗の暖簾』に似ているだろう。

さて、自分の真実な名前は何なのか?あるいは、マイ・フェイスに出ている自分の名前、SNSで使っている仮の名前の裏にある本当の名前には、どういうものが詰まっているのか?あるいは、何を詰めたいのか?

入れ物がなければ中に何かを入れることは出来ない。もやもやとつかんだものも無くなってしまうだろう。

『自分が社会の中でまとっている人格と、自分の本質がかけ離れていると感じる人』は無理を感じる。

私も名前を捨て、天善とでも名乗って、28号も『一文字雷神抜き』とでも呼ぶか(笑)。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles