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Channel: 英国式自転車生活
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ひとりの一生の体験

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このところ、『人の離合集散』と『その人を作っている体験は何か?』ということをよく考える。

私の年齢になると『チーム解散』がよくある。グループが歯抜けになって行く。NAKUなったり、隠居したり、身体を壊したり。そうすると、出来なくなることがある。

人の能力のけっこうな部分が人脈や交友関係である以上、その人たちが減って来るということは、出来ることが減って来ることでもある。私が自転車趣味の『自師賢覚』を言うのはそこにある。

自転車は、けっこうひとりでなんとかなる。体力が落ちても、自動車やバイクの分解ほど体力を使わない。

『大工や木工職人が、自分で刃物をとげないと話にならないように、自転車乗りも自分でホイール組みまで一人で出来るようにならないと本物ではない』。

整備してくれる人がいなくなったらその乗り物趣味終了、、これは悲しい。

じつは、これは『その人の個性』も、そうした一生の交友と人脈に色濃く影響されていると最近思う。この『体験』だけは、どうやって検索しても、人から聞いても、自分でやらない限りコピーできないと私は思っている。

裏返して言うと、『みんなと同じことをやっているとみんなと同じような人になる』。個性は体験とやってきたことの差がヴァラエティをつける。たぶん、みんなと同じような食生活、生活習慣をやっていると、同じような病気にかかり、同じような寿命になるのではないか?

ひとはある程度の年齢になると、『その職業の人の顔になったり』、生きてきたような顔になる。

しかし、人は誰でも一日24時間しかありませんから、それをどういうふうに振り分けて、自分の個性を研鑽する方向の生活をするか?というのは重要だと思う。

そこにさらに、御先祖の想いや人生経験、あるいは御先祖の恋愛経験までもが、自分の顔に反映されていることを考えてみる人は少ない。自分の父親が、自分の母親にたまたま魅力を感じたから今の自分がいる。もし違う人に魅力を感じて、違う人と結婚していたら、自分は違う人になっていた。

これを祖父母の代までさかのぼると4人、曾爺・婆さんの世代までそれを考えると、8人、その前は16人。その前の世代は32人。62人。6世代前まででは126人の御先祖が背景にいる。誰一人が入れ替わっても、貴方は別の人になっていた。

これを数百年で考えると、何万人もの御先祖がいて、その影響が今のあなたの顔や性格を作っている。

どこかで、頑張った人がいて、美男・美女と結ばれたり、性格や気立てがよくて、良い人がやってきたり、財を成して美男美女と一緒になったり、すべてはその人の末裔に現れると思う。

『人は因果の塊』というか(爆)、伝わってきた部分と、自分でやってきたことがすべて現れていると思う。

私のこどもの頃、神社のお祭りには『見世物小屋』が建った(笑)。『親の因果が子に祟り、、』とかやっていた(爆)。そういう話をすると『R&Fさんいくつですか?大正時代の話ですか?』とか若いのにれる。場所によっては昭和でもそういうのをやっていました。

アレックスとよくそういう話をして、人間にはDNAなどの身体的なものばかりでなく、『こころに焼きこまれた他人からの影響がある』ということを彼も私も信じていた。人間の記憶は恐るべきもので、私は父の声も祖父母の声も、ありありと思い出せる。アレックスの話しているや表情もさっきのことのように思い出せる。

私はそういう経験は、実は自分のなかで生きており、そういう人たちは自分の中に住んでいる、と考えている。芸術や文学などへ行く人は、DNAという有形のものを使って、何かを後世に伝えて行くのでなく、文化的な眼に見えない影響をもって、自分の何かを後世へ伝えていこうとする人たちだろう。

有形の外観と無形の内面のセット。

このあいだ、『現代のたぶんそこそこの作家が絵付けしている染付の茶碗の偽物をみた』。それは300年ほど前のものということなのだが、その山水の絵付けに、西洋の明暗法を抜けてきた人の調子の付け方がでていた。どう考えてもがで司馬江漢よりはあとだろう。しかし、その見方はもっと新しかった。たいへん達者なのですが。

一度見たものは、一度聞いたものは、頭に染み込んでしまって、それ以前の状態には普通もどれない。もどろうとすれば、たいへんな研鑽をつまなければならない。賢がきわまって愚になるようなものだ。

ルービンシュタインが『モーツアルトを弾くことのむずかしさ、一方でそれを何の苦も無く弾いてしまうこどものこと』をインタヴューで語っているのを聞いたことがある。

こどものように感じて表現することは難しい。

これは、じつは『人生の中での感動』に対いてもまったく同じかもしれない。そこで、こどものような純真さに戻れた賢者は、実に良い顔をしている。その尊さからみたら、アンチエイジングなどというのはずいぶん底が浅いもののように思える。

因果の塊を、なんとかこどもの純真さに近づけるように生きることは、じつは遠回りに見えて、最高に幸福な生き方のように思えるこのごろである。

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