エデンの園を追放されて以来、人は『一生、苦しんで地から食物をとる』と宣告された。
『地はあなたのためにいばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう』と言われた。
エデンの園から人は追い出され、神は2度と人が楽園に戻ってこぬように、その守りに『楽園の東にケルビムと回る炎の剣を置いた』と言われる。
武蔵野はさいわいにして、いばらは生えない。アザミは道端に色を添える。
蜂は花の花粉にまみれて、『濡れ手に粟』のこの世の春。
見捨てられたもので組み立てた入り口の先に、畑と果樹が育つ。
そこにおだやかな農夫の楽園がある。
この土地では、栗も柿も蜜柑も、他の柑橘も林檎もなる。砂漠ではない。
彼の人は言った「29歳で、何かしら善なるものを求めて」俗世を離れたと。
また「論議の道も空虚である」と悟った。
野の花が咲く時間は有限であるが、その咲いている一瞬は無量の時間であると知れ。
その花の手の中で生きることを喜ぶ蜂もまた、永遠につながる一瞬を楽しむ。
ひとの一念は久遠に通じる。
束の間でも無量の時間に生きた者に、「いつかは土に帰る」ことになんの異存があろうか?