毎年のどんど焼き。地方によってはこの時期でなく小正月の時の場所もありますが、うちのほうは今の時期です。
今年は『ひのととり』で、不動明王の年回りです。関東でも秘仏を公開するところが多い。
ずいぶん前のこと、あるお寺の護摩で、2人いるうちの◎△のお坊さんのほうが法力があるのではないか?と言う話をしたことがある。なぜか?と問われて、あっちのお坊さんの護摩だと、『炎の中に不動明王が立っているように見えるんだ』、と言ったことがある。
これは『上手い』とか言ってしまえる問題ではない。上手下手の話ではないだろう。
ただ、見えるんです。積み上げられた護摩木の上に迦楼羅炎がきれいに見えて、その前に立っているように見える。炎と言うのはじつに神秘的なもので、実際に写真に撮ってみると、1秒としてじっとしていない。
むしろ、炎は写真的に見ると、かなり速く動いている。どんど焼きでも、撮りたい瞬間で停まった時間が切り取れない。カメラがなかった時代、炎をみごとに描いた平安時代の日本の絵師たちはすごかったと思う。
たぶん、波をカメラで撮ることなく、視覚的な記憶で描くのより難しい。
最新の物理学でも光のことはよくわからない。波のようでもあり、粒子のようでもある。両方の性質を持っている。光がもし波であったなら2m先のロウソクが見えないと言われている。光は多くは燃えることによって生み出されますが、この『光の神秘性』が多くの宗教に反映されている。
こういう行事の燃える炎を見るたびに、私は昔の人たちが炎を見た神秘感情に自分を添わせてみる。
科学の神秘と伝統的な神秘が重なる貴重な時間だ。
炎の向こうの風景は、虹のような、陽炎のように薄ぼんやりとしている。小枝は炎のちからで小刻みに振動する。地面が振動しないのが不思議だ。
私には不動明王も、智剣も、こんがら、せいたか、両童子も炎の中に見えました。こいつは春から縁起がいい(笑)。