ネットでニュースを見ていたら、福島のゲンパツの井戸の汚染値がまたしても記録更新しているらしい。去年の12月に比べて4000倍。まったく落ち着いてすらいない雰囲気。
仲間の一人で、酒飲みでもなく、煙草も吸わない、会社の後夜自転車で1時間ばかり必ず運動している人が、心臓の具合が悪いという。血圧とか血管の問題なら健康診断で出ると思うのだが、それも出ず、ただ心臓の具合が悪いのが自覚できて、救心を飲み始めたというのでちょっとびっくり。
東北の自転車仲間で、同じような具合で、救急車で運ばれて、まったく原因不明のままペースメーカーを入れた友人の話は以前書きました。
セシウムは身体がカリウムだと思って筋肉にたまりやすい。心臓は筋肉の塊ですから、影響を受けやすいことが知られている。
あんまりそういうことは書きたくないので、書かないようにしていますが、私はいまだに気を抜いていない。30年でやっと半分ですから。
常日頃、カリウムを摂取していると、外から入って来る余分なものはオーバーフローして体外へ出されるので、じつは私はずっと2日に一度チーズトーストを食べている。チーズはドイツのステッペンとオランダのゴーダ。
You can't be too cautious on this matter. やれやれ。
東京オリンピックのマークの募集が締め切られて、さまざまなものがネットで見られる。良いのがありすぎて迷う。どうしてこういうのがもっと早く募集されて、選考に登らなかったのか?うちわでこそこそやっているとロクなことにならない。
日本の『有識者』というものほど胡散臭いものはない。
日本のシステムの中で圧殺されている才能ある人が多いのに驚く。ほぼ全分野で。
かつて、バートランド・ラッセルがアメリカへ行ったとき、アメリカでは学者も芸術家も哲学者も、『みんなただ一つのタイプ、ビジネスマンのようになっている』と書きましたが、これは至言で、小学校の教師や絵画の教師でも、ビジネスマンのような人をずいぶん見た。
小学生に写真をいくつか与え、これらを加工して、この商品がたくさん売れるような広告をつくりなさい、と小学校3年ぐらいのこどもに課題を与えているのを4年ほど前に見てたまげた。情操教育としてのアートではなかった。
ラッセルがアメリカで「きみたちアメリカ人はゴッホや印象派の画家たち、マチスなどが大好きだが、彼らのような人生観や価値観を持って良いと教えているところはアメリカにはない。」と言った。いまだによく言い当てている。
これは日本も知らず知らずのうちに近づいているように思える。一部のひとたちの商業主義に加担する。
社会はどんどん新陳代謝しているので、構成する人々も変化する。昨日は赤ん坊に煙草を吸わせて、こどもがむせている画像を『ウケる』と思ってインターネット上に載せて問題になった記事を読みましたが、そういうことが次第に増えてきたら、いたたまれない社会になるだろうなと危惧する。
そう言う社会を見て、こどもなんかつくりたくないと思っている人もまわりには少なくない。自分のこどもの同級生の親がそういう人の可能性が高まっているわけですから。
昨晩、野坂昭如氏の「戦争日記を読む」を再読した。ドイツが降伏して、ソヴイエトが中立条約を破棄し、西部戦線から東へ向けてシベリア鉄道で軍を東へ大移動させているという知らせが入り、満州が危なくなったとき、軍の幹部と政府のエライ人たちは「出張」の名目で、みんな下級軍人と一般人を置き去りにして、先に日本へ帰って来ていたというのを読んだ。
どこぞの国の電力会社の社長が、ゲンパツ事故の一番舵取りが要求されるときに、病院に入院し、もう破滅だと思って自分の不動産を病院から指示を出して処分していたという記事を雑誌で読んだのを思い出した。
こういう体質は変わらず。反逆の士がどんどん減っているのはなんとも嫌な感じがする。そういえば、今日は青山で野坂氏の葬儀がある。
仲間の一人で、酒飲みでもなく、煙草も吸わない、会社の後夜自転車で1時間ばかり必ず運動している人が、心臓の具合が悪いという。血圧とか血管の問題なら健康診断で出ると思うのだが、それも出ず、ただ心臓の具合が悪いのが自覚できて、救心を飲み始めたというのでちょっとびっくり。
東北の自転車仲間で、同じような具合で、救急車で運ばれて、まったく原因不明のままペースメーカーを入れた友人の話は以前書きました。
セシウムは身体がカリウムだと思って筋肉にたまりやすい。心臓は筋肉の塊ですから、影響を受けやすいことが知られている。
あんまりそういうことは書きたくないので、書かないようにしていますが、私はいまだに気を抜いていない。30年でやっと半分ですから。
常日頃、カリウムを摂取していると、外から入って来る余分なものはオーバーフローして体外へ出されるので、じつは私はずっと2日に一度チーズトーストを食べている。チーズはドイツのステッペンとオランダのゴーダ。
You can't be too cautious on this matter. やれやれ。
東京オリンピックのマークの募集が締め切られて、さまざまなものがネットで見られる。良いのがありすぎて迷う。どうしてこういうのがもっと早く募集されて、選考に登らなかったのか?うちわでこそこそやっているとロクなことにならない。
日本の『有識者』というものほど胡散臭いものはない。
日本のシステムの中で圧殺されている才能ある人が多いのに驚く。ほぼ全分野で。
かつて、バートランド・ラッセルがアメリカへ行ったとき、アメリカでは学者も芸術家も哲学者も、『みんなただ一つのタイプ、ビジネスマンのようになっている』と書きましたが、これは至言で、小学校の教師や絵画の教師でも、ビジネスマンのような人をずいぶん見た。
小学生に写真をいくつか与え、これらを加工して、この商品がたくさん売れるような広告をつくりなさい、と小学校3年ぐらいのこどもに課題を与えているのを4年ほど前に見てたまげた。情操教育としてのアートではなかった。
ラッセルがアメリカで「きみたちアメリカ人はゴッホや印象派の画家たち、マチスなどが大好きだが、彼らのような人生観や価値観を持って良いと教えているところはアメリカにはない。」と言った。いまだによく言い当てている。
これは日本も知らず知らずのうちに近づいているように思える。一部のひとたちの商業主義に加担する。
社会はどんどん新陳代謝しているので、構成する人々も変化する。昨日は赤ん坊に煙草を吸わせて、こどもがむせている画像を『ウケる』と思ってインターネット上に載せて問題になった記事を読みましたが、そういうことが次第に増えてきたら、いたたまれない社会になるだろうなと危惧する。
そう言う社会を見て、こどもなんかつくりたくないと思っている人もまわりには少なくない。自分のこどもの同級生の親がそういう人の可能性が高まっているわけですから。
昨晩、野坂昭如氏の「戦争日記を読む」を再読した。ドイツが降伏して、ソヴイエトが中立条約を破棄し、西部戦線から東へ向けてシベリア鉄道で軍を東へ大移動させているという知らせが入り、満州が危なくなったとき、軍の幹部と政府のエライ人たちは「出張」の名目で、みんな下級軍人と一般人を置き去りにして、先に日本へ帰って来ていたというのを読んだ。
どこぞの国の電力会社の社長が、ゲンパツ事故の一番舵取りが要求されるときに、病院に入院し、もう破滅だと思って自分の不動産を病院から指示を出して処分していたという記事を雑誌で読んだのを思い出した。
こういう体質は変わらず。反逆の士がどんどん減っているのはなんとも嫌な感じがする。そういえば、今日は青山で野坂氏の葬儀がある。