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Channel: 英国式自転車生活
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骨と衣装

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私の好きな画家が、昔トンビとヒバリの話を書いていた。トンビが中天を滑空して、誰よりもうまく飛ぶことを考えていた。「ヒバリの奴はいったい何を考えているのだろう?」と思って訊いてみた。

ヒバリは答えて「私は天の果てまで飛ぶことを考えています」。そう言って雲のかなたまで飛んで見えなくなった。そこへ神さまの声が聞こえて、「トンビよ。飛ぶことを考えているのはお前ばかりではない。輪を描くばかりが飛ぶことではない。」

私はこの話がたいへん好き。自転車の世界と深く一致すると思っています。これは自動車やバイクでも同じでしょう。

自転車は「パーパスビルト」(単一の機能を目指して作られた)のものですから、氷を運ぶための自転車とトラックレーサーは一緒に論ずることは出来ない。

音もなく飛ぶフクロウもいれば、急降下の羽音で小鳥をすくませるハヤブサもいる鳥の世界と似ている。

私は自転車を眺める時、『骨』の部分を見る。本当はカラーリングや派手な転写シール、もっともらしいヘッドランプやさまざまなデザイン意匠は文字通り「衣装」なのです。

ヴァレンチーノ皇帝がかつて「すこしづつ、ほんの少しの改良を加え続けること。そうするとやがて別物、別次元のものになる。」ということを言っていた。

このところ買い物とか日常用に仙人クラウドを使っていろいろと試している。数週間前、モーターサイクルのほうのテストライダーをやっている人に1号車と乗り比べてもらった。

彼は「レーンチェンジの感じがすごく良い」というコメントを出してくれました。実際、四国へ持って行った1号車はフロントのオフセットが試行錯誤中で、フロント・フォークの曲がりもかすかに2段、段が付いている。言わなければ誰も気が付きませんが、当の本人の私にはわかっている。

あとは、ホイールはいくらでも軽くできるし、ギアレシオは脚力と住んでいるエリアの地形に合わせればいいし、問題はギアリングとか変速器などの差末なところにはない。

相撲で仕切りで立ち上がらないのは、『相手がよく見えないからだ』そうです。『格闘する相手が見えない』と、努力の持ってゆく先がない。見えてくるまでギリギリまで待つ。

多くの人が自転車の『骨』を見ず、デザインや部品ばかりを気にして、「クリスマスツリー」にするのが、私には不思議でならない。

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