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Channel: 英国式自転車生活
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影は大きい

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天善は「かんばん」直前の天平堂へとびこんだ。

「おや、珍しい、天善さんじゃございませんか。ずいぶんなご無沙汰で。」
「まだこっふぃいははいるかな。余が忙しすぎるか、この店の閉まるのが早すぎるのかどちらかだ。」
「まだ大丈夫でございますよ。この分では雪は積もりそうにないし。」
前掛けをはずしていたお蝶は紺の前掛けを締め直した。

「すまぬな。」
「今日はずいぶん暇で、お客が入るまでは聴き飽きた音曲も消し、ちょうどの時刻のときのおかみの電言瓦版を聴くぐらいのものですのさ。天善さまはまさか今日は鉄馬ではありませんよね。」
「うむ。このくらいのみぞれは何ということはないのだが、荷物の引き取りもあり、馬を下りている間に鞍が濡れるのが嫌なのだ。このくらいの湿ったみぞれは、雨でもなく雪でもなく、始末が悪い。」

お蝶は四十代はじめ、活劇芝居のお市に似ていた。紅のすげがさ一人旅が似合いそうな者である。

「みぞれ降るなか、書など読んで勉学か。感心だな。」
「いえいえ、これは草紙みたいなものでございますよ。射瑠皆亭という悪いやつが出てくるんでございます。」
「アッ八ッハ。お蝶。おぬしとそのような本の取り合わせは意外であった。」
「天善さまはこのようなものはお読みになりませぬか?」
「読まぬ。が、しかし、今回の一連のことには、かなり深い筋書があるように思えてならぬ。」
「それは?いかがな筋書きでしょう?」
「うむ。まずは旧約聖書から話をはじめねばならぬ。おぬし、日曜日に働いた者への罰を知っておるか?」
「いいえ。存じませぬ。」
「『この日に仕事をする者は誰でもKOROされねばならない』と出エジプト記三十五章に書いてある。」
「まあ。そのようなことが。しかし、天善さまはよくすらすらと、そのようなことが出てきますこと。」
「こう見えて、かつては南蛮寺で教えていたこともあるのだ。それはともかく、いまや、そのようなことを実行するものは一人もいない。これは伊須羅武とて同じであろう。」
「大多数は額面通りに受け取ってはおらぬということでございますね。」
「いかにも。出エジプト記と申命記に書いてあることをそのまま実行したら、いたるところ血の海になろう。」

「それと射瑠皆亭との関係は?」
「それがなぜ、額面通りに実行する者たちが出てきたか?ということなのだ。あの集団のかしらの首魁二人は送り込まれた傀儡であるという説がある。だとするならば、あれは穏健ならざる者たちをすべてひとところに集めてこれを残らず討ち取るための計略かもしれぬと思う。」
「目が回ってくるようなお話でございます。」
「まんざら荒唐無稽な話とばかりは言えぬと言うのが余の偽らざる考えだ。我が国は深くかかわるべきではあるまい。この件に関しては我々は巻き込まれぬほうがよい。あまりに『出来すぎている』観があってならぬ。」

お蝶は放心したように聴いていた。
「お蝶。頼みがあるのだが。」
「はいっ。なんなりと。」
「そのこっふいいを冷めぬうちカップに注いでくれぬか。」
「あらっ。これは失礼いたしました。」

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