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1977年からのメッセージ

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いま、極端に忙しいので、細かいことは書けませんが、昨日、探し物の最中に1977年の新聞のスクラップブックが出てきました。

現代の人にこれは見せて、意見を問いたいものです。その年は名指揮者の来日ラッシュでした。

特に話題であったのは、セルジュ・チェリビダッケの来日でした。第二次世界大戦後、戦前・戦中の世界的なカリスマ指揮者、フルトベングラーが、一時期戦時中ナチスへの協力者だった疑いからベルリンフィルを追放された時(2年後に復帰しました)、33歳のチェリビダッケが常任主席指揮者だったことからその実力のほどが知れます。

カラヤンがベルリンフィルを率いた時、チェリビダッケはベルリン放送交響楽団を指揮して、わざわざカラヤンが振るベルリンフィルの定期演奏会と同じ日時にコンサートをぶっつけ、さすがのカラヤンのコンサートにも空席が目立つほどになった、と言われています。

日本に彼が来日した時、禅寺で庭を竹箒ではいている姿が写真に撮られました。日本文化の深層に、彼の考える芸術の本質に深く共鳴するところがある、と発言していました。

カラヤンは録音魔として知られていますが、ひとつの交響楽を、楽章ごとに半年とかかなりの間をおいて数種類録音し、一つにはぎ合わせてレコードにするようなことをやっていました。

それがチェリビダッケには、観客と演奏者が同じ時間と空間を、音楽と言う媒体を通じて共有するという、「音楽の本質」からはなはだしく逸脱するものとして激しく攻撃していました。それは東洋的なものへの彼の傾倒となんとなく近いのでしょう。一期一会。彼の録音はきわめて稀で、彼自身が望んでつくられたものはまずありません。

来日の際、彼は自分をカラヤンと較べられて、
「みんな気が付いていないのですが、カラヤンはじつは音痴なのです。」
と発言しています。

彼の音楽を同時代に聞くチャンスがありましたが、彼の耳のよさはフランスの作曲家で指揮者のピエール・ブーレーズに近いものがあると思いました。恐るべき耳のよさでチューニングを徹底してゆく、そうすると、同じオーケストラが常ならざる音になってゆく。ブーレーズはある意味まろやかさがない先鋭的な、何が鳴っているんだかわからないほどの研ぎ澄まされた音になってゆくのに対し、チェリビダッケは桃色水晶を磨いてゆくような、まろやかで透明感のある音にもっていっていました。

たしかに、カラヤンの音楽はそつがないけれど、それは減点制の耳が「不満のないものを作ろうとした」ように、チェリビダッケの音楽の前では聞こえたのを覚えています。

そのチェリビダッケが来日の時の新聞記事の見出しに「録音?とんでもない。音楽の破壊だ」というのが踊っていました。

さて2012年、スティーヴのタバコ箱ぐらいのもののなかから、のべつまくなしにイヤフォーンでデジタルの複製音をだらしなく流しっぱなしにしている人たちは、チェリビダッケの音楽観をどうとらえるのでしょうか。

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