忙しくなってくると、私の手はズタズタになってきます。少しづつマイペースでやっていられれば、そんなことはないのですが、自分のペースでできない時もある。
過酷な作業で爪は割れる、剥がれる、そこにひびができる。中学生時代はそれの繰り返しで、爪は貝殻のようになり、ネジが回せるほどでしたが、手を使っていても加齢と共に爪は薄くなるようです。
「人にある程度まかせればいいのに」と言う人もいますが、それはちょっと違う。絵画でも「工房が制作した弟子たちのペーター・パウル・リューベンス」と「リューベンス自身のリューベンス」でははっきり違います。
なかには「合点で時給800数十円で雇った趣味のロードレーサーに乗ったことのない数ヶ月の人に、フレームをトーチでロウ付けさせたり、チェンステーを金槌でガンガン叩いてつぶさせたりして、自分の転写シールを貼ってしまうビルダー」もいるようですが、自分にはそういうことは出来ない。
うまく1発でつぶす治具もなく、「イメージのない人、ロードレーサー趣味をやってこなかった人」につぶさせて、工房の主人のつくるように数ヶ月でなるものとは、私にはとうてい思えない。
かくして、何から何まで自分でやり、塗師のところまでフレームをかついで出向き。それは、私には無意味には思えないのです。
自転車と言うのは、本来、「機械が生んだつるしを買うものではない」と思うのです。それは、一台が出来上がるまでに、さまざまな職人的な人々の手を経ているわけです。それら一人一人の人たちの手によって磨かれてゆくものだと思う。
私は、そういう「善良な人たちのネットワークで生まれるものが本物」なのだろうと思います。そのためにはやはり、「会っていて心地よい人たちに仕事をまかせたい」と考える。
ウインストン・チャーチルが面白いことを言っています。
「私は自分の着る洋服と言うものにたいして、それを金で買っているのではない。服というものは、作る職人の気品というようなものが、必ずのりうつるものだ。私はその服にみなぎる品格に対して金を払っているので、服そのものに金を出しているのではない。」
さいわい、いま溶接をお願いしている人は、江戸時代なら蘭学か何かを勉強しつつ、青木昆陽先生にまねびて、庭で、飢饉に備えてサツマイモを育てているような風情の、ひじょうにスッキリした、職人にありがちなニヒルなところが微塵もない澄んだサムライ肌の人です。それは出来たもの、乗ったとき、あきらかに彼の個性が漂っていると思う。親方のフレームは非常に「芯が太かった」、野武士の合戦用のような、実戦向きなもので、日本人のフレームの中では、彼の個性が何を作っても濃厚にあらわれる、タイプでした。私はどちらも良いと思う。
塗師の人もまた同じ。
「窯に入れたらイメージよりほんの少し濃くなった気がしないでもないねぇ。」
「いや、これでいいと思いますよ。いいあがりですよ。」
「そお?もう微かに翠を足すと焼き上がりどうなるかな?このつぎまでにちょっと実験して追求しときますよ。」
焼き上がりとその前段階の関係の研究に余念がありません。
私も含めて、うちのグループはみんな手袋しないのに気が付きました。
人間の指先はミクロン単位の表面の凸凹を感じ取ります。それが「いい物を作るのに絶対必要」であると、私は思う。親方も決して手袋をしない人でした。
「手袋をしたら、感覚にぶくなるし、手袋をしただけのものしかできやしないよ。あいつにもはずせって、いつも言ってるんだけどね。」
これはヨーロッパの一流ののバイクや自動車のメカニックなどでも、決して手袋をしません。
最後にもうひとつウインストン・チャーチルの一言、
「私はハゲと言われてもしかたがない。デブと言われてもそれを受けいれよう。しかし私の手が柔らかいなどとは決して言ってくれるな。」(手が柔らかい、とはトルストイの童話にあるように働かないしるし)
私なら前のふたつは、「オレの腹筋は割れている」とか言って頑強に否定し、柔らかい手を目指して、薬用クリームを買いましたが(笑)。