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Channel: 英国式自転車生活
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放浪へのあこがれ

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こどものころからひとつの場所にじっとしているのが苦手でした。小学校の通信簿に「授業中でも歩き回りどこかへいってしまう」と書かれていた。

小学校で、自転車が手に入るともうたいへん。活動の南の果ては多摩川。北は杉並の果てるところ、東は笹塚、西は深大寺、調布。

『今いるこの場所から離れたら、まったく別の生活と世界がある』ような気がした。

この気持ちは昔から変わらず、人生の大半を旅に費やした。

「家を変えれば出る幽霊も変わるというのは誤り」だとフランスの詩人が言っていたが、ある意味それは真実だと思う。しかし、一方で、「別天地」というのも確実に存在する。

小学校の時、新聞委員会というのがあって、新聞を作っていました。ずいぶん進んでいたなと思うのは、ある時、学区の違うよその学校からそこの新聞委員たちが来るという話がありました。

むこうから5人ほどやってきた。こどもながら、向こうはレベル高いな、と思った。まさに銀河系の太陽系にアンドロメダから高度の文明をもった人たちが来た感じ。その5人の中にたいそう頭のいい、かわいい女の子がいて、それでますますその学校の評価が私の中で上がった(笑)。

学友と、どんな学校か見に行ってみよう、ということになった。
「うちの学校の生徒とはずいぶんちがうよ。肥溜めのある畑のわきでパンツと体操服乾しているような、そんな女の子じゃないんだ。」(うちの学校にはそういうのがたくさんいた。笑)

その私の言葉に深く納得した仲間が2人自転車でついてきた。

その学校へ着いたころは夕暮れ。谷内六郎の絵のようでした。生徒も誰もいませんでしたが、私たちは本願を果たして帰ってきた。今思うと、その時ぼくらは発電器付きが一人もいなかった。3人のうち1人だけが2つに割れる単一電池が2個入る差し込み式の電池ランプを持っていた。あとの二人は無灯火。

当時はこどもが夜自転車に乗るなんていうことはほとんどありませんでした。持っていたのは材木屋の息子。たぶん親のを勝手に持ってきたのだと思う。彼を先頭に帰ってきました。

小学校の時、図書室へ行って1時間読書、という授業が毎週ありましたが、そこでオデュッセウスの冒険の本があって、一つ目の巨人などが出てくるので、夢中で読んだ。

ギリシャの英雄オデュッセウスがトロイ戦争のあと故郷に帰るのですが、怪物だの魔女だのにさんざん引っかかって、帰り着かない。

あれは今考えると、放浪好きのギリシャの船乗りたちが、故郷で妻や家族に「あんたたち何年もいったいどこで何やってたの?」と問い詰められ、苦肉の策でデッチあげた話だろうと思う。

途中で美しい地中海でさんざんいい思いをしたに違いない(爆)。

ちなみに自動車の「ロータス」のあの名前はオデュッセイアに出てくる。それを食べると、この世の苦しみや憂いがすべて消える魔法の食べ物。

一方、妻のぺネロープは、「こんなに長い期間オデュッセウスは帰ってこないのだから、戦死したか、難破したに違いない。だから自分と結婚してくれ」と求婚者がたくさん現れて断るのに困っていた。

断るのに万策尽きたぺネロープが、「それなら、この弓をひいてごらんなさい。これはとても強い弓でこの弓を引けた男は主人のほかにはおりません。これを引ける者がいたら再婚しましょう。」という。

みんなが試すが引けない。「どれ、私にもやらせてくれ」と乞食が弓をとると、軽々と引いて見せた。かぶりものをとると、それこそがオデュッセウスで、その求婚者たちをみんな射殺した、という身勝手な話です(笑)。

放浪への欲求というのは「自由への欲求」であるとともに、「いまいるここでの生活を繰り返して、そして死んでゆく人生でいいか?」という、人生への問いかけであると思う。

じつは、私ははじめてヨーロッパから帰ってきて、日本へ帰ってきてつらくてしかたがなかった。

中東で働いても、インドで働いても、東京の生活より向こうのほうが心が晴れた。

しまいに、中東から英国やイタリアに帰るようになり、日本へ帰りたくないとすら思った。完全なオデュッセウス症候群。

東京の家は、ホテルの一室の感じ。一軒家が欲しいとも思わなかった。暫定的に日本に戻っている感じ。

これは永井荷風、佐藤春夫以来、現代の多くの海外長期滞在者・居住者の共通した思いではないのか?

そこで、再び私の自転車生活が始まりました。いまから4分の1世紀以上前のこと。英国に置きっぱなしにしていたロードスターを持って帰ってきた。それに乗ると懐かしい英国に戻った気がした。小雨が降ると、まさに英国のdrizzleのようなので、雨の日にはわざわざ乗った。

やがて、自動車も連れて帰ってきましたが、自動車だけはこの「どこでもドア」が日本では機能しなかった。そして手放す。ロンドンからM道路を飛ばしてケンブリッジに帰ってくると、霧に対応した黄色い電燈が美しい。途中のスタンステッドのあたりでは、空港かサーキットに迷い込んだのかと思うほど、片道8車線ぐらいになる。あの感覚は日本では、いくら高級車に乗ってもとうてい味わえない。

その延長に28号もあるのですが、私は一度、すべてをリセットして、日本でそういう人生スタイルを、この日本に残されたジグソーパズルでできないものか?と考えたわけです。

ただ、それがいまわのきわに、日本でよかった、と思えるか、やはり向こうへ残らなかったのは人生最大の不覚だったと思うのか、それはわからない。

自分の自転車は?

「これを乗りこなす者はいますか?その気になれば矢のように走り、信号では1分以上スタンデイングで足をつけず変わるまで停止し、チェンの音をさせずに瞬時に変速し、、、」
そこへ乞食のように落ちぶれたR&Fが放浪から帰ってきて『どれ、おじさんに乗せてごらん、、。」アッ!その時はおじいさんでしょうね(爆)。

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