シャーロックホームズのシリーズに「美しき自転車乗り」というのがあります。ある金持ちの家の娘の家庭教師に、どこへゆくにも自転車の若い女性がなるのですが、屋敷が遠いので、いつも列車に自転車を持ち込んで駅から屋敷までは自転車で行っていた。それがなぜか、怪しい自転車乗りにいつも後をつけられるのですが、警察も取り合ってくれないのでホームズのところへ相談に来るという話でした。
その自転車、ひとつは「ループトップ・フレーム」で、もうひとつの怪しい男が乗っているほうはチェンがモーターサイクルのように、フレームの左側にきている。これはかなり初期のセイフティー型自転車で、タイヤもソリッドタイヤでした。
私の古い自転車のほうの師匠の故ジョン・ピンカートンに聞いた、
「あんな古いセイフティーがよく動く状態で英国にはあるな。考証もたいしたものだ。」
「そりゃ、そうさ。あの番組シリーズに出てくるかなりの割合の古い自転車はオレのだ。」
英国はそういう趣味人をうまく社会で活用している。
日本の映画「坊ちゃん」では、原作にないマドンナが自転車に乗るシーンがあり、しかも、その自転車が1970年ごろの前輪が大きいBSの疑似クラシックでした。
ところで、その初期のセイフティ型自転車の絵をはじめて見たのは、小学校の時の安全講習会のときにもらった「自転車の歴史」というチラシだったと思う。私のこども時代、世田谷の成城警察では、小学校で自転車の安全な乗り方を、校庭に白線でコースを書いてやっていました。それに出ると、自転車講習終了証という自転車の免許証をくれた。それには「車検証」までついていて、それを見せると地区の自転車店で無料で安全整備をしてくれたものでした。
それだけ、社会に余裕があった。また、こどもたちが自転車に乗るのを安全に見守る姿勢が社会にあったと思う。
今はどの子もピッカピカの新品安物輸入自転車に乗り、母親間で、こどもが公園デビューするときに、どういう自転車に乗せるか?で、そこをおさえたマーケティングかどうかで大きく売り上げが変わるのだそうです。
かつては、こども自転車は『社会に属していた』。
どんどん大きくなる時期に、つぎつぎと自転車を買い替えるのは不経済。買い換えないと、いつも大きすぎるか小さすぎる。なので『おさがり』『たらいまわし』が当たり前でした。
だから、こどもが来ると「点検整備無料」のシステムを成城警察はやっていた。いまや、最大利潤をもとめてコスト切りまくった輸入自転車で、整備は不十分、かわりにヘルメットをかぶせる。
私のこども時代、同じ小学校でチェンが真っ赤に錆びた自転車に乗ったこどもを見た記憶がない。ほとんどではありません。一人もです。
それはチェンがさびていたら速く走れないし、音が出てこどもの間でも笑われた。そうしたチェンへの注油とブレーキの正しい調整は、地区の自転車店がこどもが空気を入れにきたらやっていたし、親も自分のこどもがキコキコチェンが鳴っているのを放置はしなかった。
いまは安全点検はしない。講習終了証もない。ヘルメットをかぶせる。逆ではないのか?
私は当時小学校2~3年のとき乗っていたのは光自転車でした。灰色とベージュのツートンカラーだった。あの時代のロッドブレーキの自転車は現在ほとんど残っていません。おさがりとたらいまわしで、ほぼすべてが使い切られてしまっていて、世の中の生存数が極端に少ない。それはいわば、地域が持っていたといえるのです。
今から考えると、あそこで『お古』を使ったからこそ、進学や入学祝の自分の新車の自転車が、大人が自動車をもらったほどうれしかったのではないのか?たいせつにしたのではないのか?
私の乗っていた光自転車もハンドルは錆止めの銀色のラッカーが塗ってあった。あの時代、そういうものが当たり前だったのですが、今では銀色ラッカーの塗られた自転車などまず見かけない。
逆に中学・高校生になると現代の若者はずいぶんうす汚い、目立たない自転車に乗っている。目立つといじめられるのだそうです。
我々の時代、中高生のころはもっとも自転車に燃えた。「どこへでも一人で行けるという道具」。また、速い自転車に乗れるということは、アルバイトをたくさんやったか、家が裕福か、体力があるか、いずれにしても誇示すべきことだったと思う。
このところ、たまに中高年、それもあきらかに50歳以上の大人が、錆だらけの古いセミドロップ車を整備もせずに乗っているのを見かけます。磨いてあればまだしも、汚いままというのが、なんだか痛々しい。自分が中学生時代に持っていたものなのか?あるいはこどもからまたおさがりで乗っているのか?
なんだか、すべてが逆になってしまった感じがします。
その自転車、ひとつは「ループトップ・フレーム」で、もうひとつの怪しい男が乗っているほうはチェンがモーターサイクルのように、フレームの左側にきている。これはかなり初期のセイフティー型自転車で、タイヤもソリッドタイヤでした。
私の古い自転車のほうの師匠の故ジョン・ピンカートンに聞いた、
「あんな古いセイフティーがよく動く状態で英国にはあるな。考証もたいしたものだ。」
「そりゃ、そうさ。あの番組シリーズに出てくるかなりの割合の古い自転車はオレのだ。」
英国はそういう趣味人をうまく社会で活用している。
日本の映画「坊ちゃん」では、原作にないマドンナが自転車に乗るシーンがあり、しかも、その自転車が1970年ごろの前輪が大きいBSの疑似クラシックでした。
ところで、その初期のセイフティ型自転車の絵をはじめて見たのは、小学校の時の安全講習会のときにもらった「自転車の歴史」というチラシだったと思う。私のこども時代、世田谷の成城警察では、小学校で自転車の安全な乗り方を、校庭に白線でコースを書いてやっていました。それに出ると、自転車講習終了証という自転車の免許証をくれた。それには「車検証」までついていて、それを見せると地区の自転車店で無料で安全整備をしてくれたものでした。
それだけ、社会に余裕があった。また、こどもたちが自転車に乗るのを安全に見守る姿勢が社会にあったと思う。
今はどの子もピッカピカの新品安物輸入自転車に乗り、母親間で、こどもが公園デビューするときに、どういう自転車に乗せるか?で、そこをおさえたマーケティングかどうかで大きく売り上げが変わるのだそうです。
かつては、こども自転車は『社会に属していた』。
どんどん大きくなる時期に、つぎつぎと自転車を買い替えるのは不経済。買い換えないと、いつも大きすぎるか小さすぎる。なので『おさがり』『たらいまわし』が当たり前でした。
だから、こどもが来ると「点検整備無料」のシステムを成城警察はやっていた。いまや、最大利潤をもとめてコスト切りまくった輸入自転車で、整備は不十分、かわりにヘルメットをかぶせる。
私のこども時代、同じ小学校でチェンが真っ赤に錆びた自転車に乗ったこどもを見た記憶がない。ほとんどではありません。一人もです。
それはチェンがさびていたら速く走れないし、音が出てこどもの間でも笑われた。そうしたチェンへの注油とブレーキの正しい調整は、地区の自転車店がこどもが空気を入れにきたらやっていたし、親も自分のこどもがキコキコチェンが鳴っているのを放置はしなかった。
いまは安全点検はしない。講習終了証もない。ヘルメットをかぶせる。逆ではないのか?
私は当時小学校2~3年のとき乗っていたのは光自転車でした。灰色とベージュのツートンカラーだった。あの時代のロッドブレーキの自転車は現在ほとんど残っていません。おさがりとたらいまわしで、ほぼすべてが使い切られてしまっていて、世の中の生存数が極端に少ない。それはいわば、地域が持っていたといえるのです。
今から考えると、あそこで『お古』を使ったからこそ、進学や入学祝の自分の新車の自転車が、大人が自動車をもらったほどうれしかったのではないのか?たいせつにしたのではないのか?
私の乗っていた光自転車もハンドルは錆止めの銀色のラッカーが塗ってあった。あの時代、そういうものが当たり前だったのですが、今では銀色ラッカーの塗られた自転車などまず見かけない。
逆に中学・高校生になると現代の若者はずいぶんうす汚い、目立たない自転車に乗っている。目立つといじめられるのだそうです。
我々の時代、中高生のころはもっとも自転車に燃えた。「どこへでも一人で行けるという道具」。また、速い自転車に乗れるということは、アルバイトをたくさんやったか、家が裕福か、体力があるか、いずれにしても誇示すべきことだったと思う。
このところ、たまに中高年、それもあきらかに50歳以上の大人が、錆だらけの古いセミドロップ車を整備もせずに乗っているのを見かけます。磨いてあればまだしも、汚いままというのが、なんだか痛々しい。自分が中学生時代に持っていたものなのか?あるいはこどもからまたおさがりで乗っているのか?
なんだか、すべてが逆になってしまった感じがします。