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ここ2日ばかり、いろいろと加齢のことを話す機会がありました。
私のまわりの人たちはみんな『日常的に自転車に乗っている』。私も昨日は集会の場所まで自転車で行き、そのあとまた「自転車で徘徊」して、買い物をして帰ったので40km+走っている。
そこにたまに60~80kmの日があり、20kmぐらいの日もある。雪が降ればほぼゼロ。一か月の走行距離は800kmぐらいではないかと思う。
淡々と、ペースを守って自転車に乗っていれば、健康管理で大きな失敗はない。食事には気を使う。
昨日の集まりも何時も自転車に乗っている人たちが中心なので、健康度はかなり高かった。年齢を考えるとそれぞれの人が「その年齢にしては健康で若い」と言えると思う。
長年の観察ですが、40代で内燃機関派が、自転車族より「やや健康度で落ちる」ぐらいだったのが、55歳ぐらいを境目にして、階段で2~3段、とりかえしのつかないくらいの、大きい差が生まれている場合が多い気がする。
某、有名レーサーは歳をとってから自転車に乗り始めましたが、5kmぐらいしか乗れなくなっていました。
今日、たまたま、かつての同窓生に電話をしたのですが、彼も自動車会社の社員でした。それがいまや腎臓の機能も40%。家の中でも杖をついていて、介助なしで外出はほぼ無理だというので、びっくりした。さらに意外だったのは『外出しないで、いつも家にじっとして毎日同じようなことを繰り返しているようになってから、記憶力の減退とか、軽い認知症のけがでてきているのが自覚できる』というのでさらにびっくり。
彼は中学・高校時代、成績優秀者でした。
「生活習慣の問題というのか、どこでこうなっちゃったのかわからない。」
とぼやいていました。
ほんの20数年前、自動車なんか雨に濡れなくて、荷物が運べればいい、と言う私に、
「R&Fは中学時代から進歩していない。まだいい歳して自転車か。雨に濡れなくて、荷物が運べればいいなんて、FUN TO DRIVEということを知らないのかよ。」
とよく言われた。人の人生はわからない。
別の友人から電話。彼は昔、銀座のブティックの店長。いまは自宅を店にしてマイペースでやっている。
「いま、アパレルはずいぶん景気が悪いよ。大手のWなんか6000店舗ぐらいあるんだけどサ。1割減らすって言ってるから、そうすると600店舗減るわけでしょ?そこにだいたい5~6人のスタッフがいるわけだから、その一社で何千人ものスタッフが仕事がなくなるわけだから大変だと思うね~。」
彼も母親の介護でずいぶん高齢者の人生を考えたらしい。数年前に自動車を売り、使う時はレンタカーかタクシー。あとは自転車移動に切り替えた。体力が資本。健康年齢の維持こそが最優先課題と考えたようです。
昨日の集会の帰り、喫茶店で今年70歳の人と雑談になった。最近、自転車であちこち散歩に行くと言う。
「雑誌で自転車を買うのに、どれを買おうか参考にしようと思って買ったんですよ。だけど、中高年にどういうのが向くかとかは一切書いてありませんね。みんなが多摩川の土手で走っているのを見て、いまどきはああいうものなのかな、って思ってサドルの細いので、ハンドルがドロップじゃないのを買ったんですよ。それも国産のものを買うべきだろうつてB社のをね。ところがおしりが痛くってね。」
「おしりじゃなくて股間でしょ(笑)。」
「そう。股間。もう痛くってね。結局、人にやっちまって、いまは買いもの自転車ですよ。最初の頃は道がわからないから甲州街道とか、自動車の道を通ってたけど、危ないし、面白くないんだ。それがだんだん、クルマの来ない裏道を通って、遠くまで行って珈琲飲んで帰って来るの。」
「そりゃ、我々が言っている『自転車徘徊』そのものですよ。家にばかりいたら刺激がなくってダメだから、徘徊している人たちも、それは表の新鮮な空気吸って、街の様子を観て、脳に刺激が欲しんですよ。」
「そういえば、このあいだ認知症の人の『あかるい徘徊』の映画を観たなぁ。認知症の母と娘の話。その町の店の人たちがみんな徘徊しているそのおばあちゃんのこと知っているの。それで『いまおばあちゃんうちのお店に来ていますよ』とか報告しているんだ。よかったなあれは。」
偶然、その夜、真逆の話を聞いた。
「母親のお見舞いに施設へ行ったんですよ。いつも隣のテーブルで食事をしていた女性がいるんですけど、今日行ったら、頭を支えるようなのがついた車椅子に座ってて、廃人みたいになってたんですよ。いつもはものすごくよく喋る活発なおばあさんだったんですけど、どうしたのかな?と思って訊いたら、徘徊がひどくて、よその人の部屋まで出かけて行くので、精神病院に連れて行って、おとなしくなるような注射をうってもらってきたって施設の人が言ってましたね。」
その彼の小学生のこどもが、
「え~~っ、そんなことしていいの?」
「おとうさんは患者の人権・人格無視だと思うけれどね。『管理がもう難しいから』って施設に言われ、家族がじゃあお願いしますって言ったら、今はそうされちゃうのかもしれないね。見ていてこころが暗くなったよ。」
今月中に母親を家へ連れて帰ることにしたという。
管理しづらい人は日本ではそういう末路なのか?
先の70歳の人はづっと90代の認知症の父親の面倒をみていたという。
「親父も外へ出たいっていうんだけれど、車椅子を嫌がるんですよ。」
「それはまたどうして?」
「昔、一緒にゲートボールやっていたような近所の婆さんたちに、車椅子に乗っているところを見られるのが恥ずかしい、カッコ悪いっていうんです。」
「今の車椅子はカッコイイのが少ないからねぇ。いかにも医療器具~って言う感じで、クロームメッキピカピカで、洒落た色に塗ってあるのなんかありませんからね。これから高齢になる世代は『ピニンファリ―ナのデザインのカーボンの車椅子』とか言ったら欲しがると思うんだけれどな。椅子はレカロでランバーサポート付きだとかね。」
「自転車だけじゃなくって、そういうのもやってくださいよ。」
「自分用にやるかな。ものすごくカッコいい奴を作って絶世の美女に押させる。」
「車椅子がカッコ悪いなんて思っている世の中はいけませんよ。」
「昔、『鬼警部アイアンサイド』っていう車椅子に乗った渋い警部が出てくる番組があったね。ああいうのがなくなったね。」
恩師に夜電話をした。このあいだブログに書いた友人の脳内出血の様子の報告。
「彼もストレスだろう。学生時代から自分でストレスのネジを巻いているような性格だったからなぁ。手紙でも出しておくよ。ところでR&Fはどうだ?」
「私は自転車で徘徊して、ストレスを溶かしていますから平気です。あいつのように思い詰めない性格ですから。どうしようもなくなると、ぷ~~~っと自転車でどっかへ行ってしまいます。『どうしようもないんだから、どうにもできないじゃないか』って、状況に逆らいません。」
「そう。こう技術が進歩して、どこにいても何曜日でも携帯電話で呼び出され、スマホの中に計画表が入っていて、GPSで管理され、政府にもナントカ・ナンバーで見張られて、やっていられないだろう。」
「私は携帯電話が止められていると、これさいわいとそのままにしておいたりしますよ。」
「ははは。学生時代のR&F性格そのままだな。本来生物というのは、混沌雑然とした中に生きていて、それがある意味、気持ちが良いものだからな。そういういいかげんなゆるい部分がないとストレスになるんだろう。ところが、現代はそういう『管理』ばっかりが進んでしまっているように見えるよ。」
「私はよく言うんですけれど、『現代社会は石亀をステンレスのながしで飼うようなものだ』ってね。」
「まったくそう思うよ。水とエサさえ与えていれば生きているだろうけれど、水草があって、小魚がいて、ミミズがいて、色々な形の岩があって、そういう混沌雑然とした中が住み良いんだよ。薬を与えて、温度を管理してやって、栄養のいいエサを与えていれば石亀は幸せなのか?っていうことだよ。人間も同じだろう。」
「先生の『混沌雑然』っていうのは良いですね。揮毫して掛け軸にして掛けておきますかね。」
「ははは。ついでにストレスを溜めない生活法の塾とかもやってみたら?」
「いや、講習修了証は出るんですか?とかメールが週に10本ぐらいよこす生徒が来たらやりきれませんからね。自転車の方で充分懲りていますよ。」
「じゃあ、R&Fも石亀のように混沌雑然のなかを自転車で徘徊してストレスを溜めないようにな。」