むかぁ~~~しのことでござる。
生まれて初めてイタリアの自転車に乗ったことを思い出す。中学生の頃で、名選手、フィオレンツォ・マーニに名前を取った自転車に乗った。
まだクルマの通りの少なかった甲州街道を疾走して、「これは鬼才の作ったものだ」と思った。乗り味がまったくの『外車』で、国産のスポーツ車とはまったく違った。
何だか知らないが、ビュンビュン行く不思議な感じでした。
ところが作りがヤワで、ブレーキはいつしか歪んできて、ブレーキレバーも曲がってきた。ペダルもきしむようになってきた。ブレーキをワイマンに替え、テンションの弱い下級グレードのカンパニョーロを国産に替え、タイヤを第一タイヤに替え、そうこうしていると、いつの間にか乗り味が国産車に近づいていました。不思議な感覚です。
これは28号の部品を入れ替えているうちに、同じようなことが起こり、『ああ、これはいけない』と元に戻すこともある。
これは『絵を描いている時に似ている』。
最初の一筆の純粋さというのは確実にある。音楽でもジャズでもクラシックでもそうですが、多少のミスがあってもファースト・テイクをレコードにしたりするのはよくある。
ハープシコードのヴィルチュオーゾ、ジョージ・マルコムなども、録音中にスタッフが物を落っことしても、ハム音が出ても最初の一発目の録音をレコードにしていた。
絵の場合、あるところまで描いた時、『絵を描き壊すのではないか?』という『おじけ』がきて、筆が伸びないということがある。
ものを作りだすとき、最初の純粋な一発目で、『うまく作が伸びる』ことがきわめて重要だと私は考える。
自転車を作る場合もそうで、なにやら特殊工作やら、凝ったことを後付けしようとすると、作がいじける。
絵の世界では「仕上げるまで筆が伸びる」と言うことを言いますが、我々はものを見る時「どれくらい丁寧か」とか「凝っているか」は見ない。そういうことは『単なる作業でできること』です。
うまく作が伸びているのは、作業では出来ない。
昨日、仲間が電話で、このあいだのアド街ック天国で上野広小路(2016年2月13日,21分目ぐらい)をやっていて、その中で歌舞伎の海老蔵さんが、御先祖が成田山新勝寺に奉納した鏡を、御徒町の江戸指物師に複製してもらう話をやっていたということを知らせてきた。Youtubeに出てきます。
職人が出された条件は『5年以内』ということ。それ以外は一切なし。その指物師の方、図面を作業場の脇に貼って毎日みている。しかし、すでに3年間何も手を付けていない。「ポンポン出来るもんじゃないし、これほどのものになると、気持ちをのせてゆかなければならないから。とりかかれませんね。」と言っていました。
この気持ちはよくわかる。お茶は濁せない。
先のフィオレンツォ・マーニの自転車のことは、食事にもあてはまる気がする。江戸時代の上流階級は長生きしなかったことが知られている。贅沢な手をかけた食事で、30代、40代で寿命が尽きる人が少なくなかった。
野菜でも魚でも、材料の生命力がなくなるぐらい手をかけたものは、逆に健康面からは良くないのでしょう。だから、武将たちは頂点に立っても贅沢品の白米を食べず、雑穀米、玄米、麦飯を好み、家康なども納豆などの庶民の食事を好んだ。
家康は『多摩八果』という野菜や果物を、多摩川の流域で作らせるため、農業の達人たちを全国から呼び寄せた。新鮮な生に近いものでないと摂れない滋養があるのを知っていたのだろうと思う。
贅沢な食事が続くと、ごそごそした冷たい蕎麦などが欲しくなるのは、そういう要求なのだろうと考える。
たぶん、これは『野生が残っている、生きの良い道具』などにも同じことが言えると思う。
生まれて初めてイタリアの自転車に乗ったことを思い出す。中学生の頃で、名選手、フィオレンツォ・マーニに名前を取った自転車に乗った。
まだクルマの通りの少なかった甲州街道を疾走して、「これは鬼才の作ったものだ」と思った。乗り味がまったくの『外車』で、国産のスポーツ車とはまったく違った。
何だか知らないが、ビュンビュン行く不思議な感じでした。
ところが作りがヤワで、ブレーキはいつしか歪んできて、ブレーキレバーも曲がってきた。ペダルもきしむようになってきた。ブレーキをワイマンに替え、テンションの弱い下級グレードのカンパニョーロを国産に替え、タイヤを第一タイヤに替え、そうこうしていると、いつの間にか乗り味が国産車に近づいていました。不思議な感覚です。
これは28号の部品を入れ替えているうちに、同じようなことが起こり、『ああ、これはいけない』と元に戻すこともある。
これは『絵を描いている時に似ている』。
最初の一筆の純粋さというのは確実にある。音楽でもジャズでもクラシックでもそうですが、多少のミスがあってもファースト・テイクをレコードにしたりするのはよくある。
ハープシコードのヴィルチュオーゾ、ジョージ・マルコムなども、録音中にスタッフが物を落っことしても、ハム音が出ても最初の一発目の録音をレコードにしていた。
絵の場合、あるところまで描いた時、『絵を描き壊すのではないか?』という『おじけ』がきて、筆が伸びないということがある。
ものを作りだすとき、最初の純粋な一発目で、『うまく作が伸びる』ことがきわめて重要だと私は考える。
自転車を作る場合もそうで、なにやら特殊工作やら、凝ったことを後付けしようとすると、作がいじける。
絵の世界では「仕上げるまで筆が伸びる」と言うことを言いますが、我々はものを見る時「どれくらい丁寧か」とか「凝っているか」は見ない。そういうことは『単なる作業でできること』です。
うまく作が伸びているのは、作業では出来ない。
昨日、仲間が電話で、このあいだのアド街ック天国で上野広小路(2016年2月13日,21分目ぐらい)をやっていて、その中で歌舞伎の海老蔵さんが、御先祖が成田山新勝寺に奉納した鏡を、御徒町の江戸指物師に複製してもらう話をやっていたということを知らせてきた。Youtubeに出てきます。
職人が出された条件は『5年以内』ということ。それ以外は一切なし。その指物師の方、図面を作業場の脇に貼って毎日みている。しかし、すでに3年間何も手を付けていない。「ポンポン出来るもんじゃないし、これほどのものになると、気持ちをのせてゆかなければならないから。とりかかれませんね。」と言っていました。
この気持ちはよくわかる。お茶は濁せない。
先のフィオレンツォ・マーニの自転車のことは、食事にもあてはまる気がする。江戸時代の上流階級は長生きしなかったことが知られている。贅沢な手をかけた食事で、30代、40代で寿命が尽きる人が少なくなかった。
野菜でも魚でも、材料の生命力がなくなるぐらい手をかけたものは、逆に健康面からは良くないのでしょう。だから、武将たちは頂点に立っても贅沢品の白米を食べず、雑穀米、玄米、麦飯を好み、家康なども納豆などの庶民の食事を好んだ。
家康は『多摩八果』という野菜や果物を、多摩川の流域で作らせるため、農業の達人たちを全国から呼び寄せた。新鮮な生に近いものでないと摂れない滋養があるのを知っていたのだろうと思う。
贅沢な食事が続くと、ごそごそした冷たい蕎麦などが欲しくなるのは、そういう要求なのだろうと考える。
たぶん、これは『野生が残っている、生きの良い道具』などにも同じことが言えると思う。