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古い乗り物をやっていると、なかなか考えることがたくさんあります。
大ざっぱに言って、「動かし続けるのがたいへんな乗り物がある」。もう、どうしても自分でなんとか補修部品を作るのが難しい部分があります。
たとえばラレーにRSW16という自転車がありましたが、これはタイヤがない。どこを探しても、もうないのです。作ろうと言ってもタイヤなど、そう簡単に作れるものではありません。
近いもので代用しようとしても、乗り味が変わってしまう。
うちから出た28インチのロードスターの古いものを、友人がダンロップの古いものから現代の日本のものに変えた。
「びっくりするほどがさつになりました。」
というコメントだった。
モーターサイクルなどでもタイヤの特性は重要なはずで、サイズがあっても、もはや想定性能は出ない場合が多い。サンビームのロードスターなどはブレーキシューの補修部品がない。
「ゴムを削って作ります」と言った人がいましたが、サンビームのブレーキシューは鉄板の芯が中に入っている。ゴムのペレットから加熱して硫化させて作れない人には無理。またサンビームのロードスターには右のチェンステーがフレームとして存在しない。鉄板に穴をあけた構造材が、チェンケースの中にハンダで貼ってある。溶接ではないのです。なかの力木にあたる鉄片のハンダがとれたら修理には困難を極めます。一度たい焼きの型のように剥がして、修理して、また合わせるよりほかない。
英国の古い自転車の多くは26×1・4分の一のタイヤが使われていますが、これも現在ケンダの古いものぐらいしか入手できません。ところがケンダの1・4分の一はそれほど高性能なタイヤではない。
こうして見て行くと、レアなものほどたいへんな困難を伴うのです。私がローズを残したのは、1920年代の自転車でありながら、ほとんどスペア部品に困らないから。
そのほか古い車両ではスポークの長さが問題になる。昔の英国車だと16番のスポークが使われている競技車両があり、バテット・スポークのものも多い。このあたりもまずスペアはないと思った方が良い。28インチの15#とかバテットとかの、32H用の長さのものはまずない。古いはんぱな車輪を探してほぐす。
サンビームの古いロードスターのフロントハブの球押しは、見たこともないような形状をしているのでこれも他の部品で転用が利かない。同様にロッドブレーキのネジやボルト、ヘッド小物のネジも他のものの転用が利きません。
こういうものを動かし続けるには「人脈力」が必要なわけで、それがない人はやめたほうがよい。
さらに、もうひとつの観点として、『現代の路上で使い物になるかどうか?』と言うことがあると思う。
自動車でも、現代の路上ではヒヤヒヤするものがあるのと同様、古い自転車でもそういうものがある。ブレーキが心もとなかったり、ハンドリングに癖があったり。
完全にパレード・ライド、もしくはごくたまにタイムスリップで乗るのなら楽しいものもある。
そういう車両に出くわすまで数をこなすのもたいへんです。
ある仲間が半世紀以上前のレコード・エースを買って持っていた。それを売ろうと思っているという。私も何台か持っていましたが、「乗ると普通」なのです。つまり、あまりに現代車と変わらないので、タイムスリップ感がしない。そこがまさしく、彼が売りたい理由らしい。レコード・エースより重量も重い下のモデルのスーパーレントンやクラブマンは意外と現代にない乗り心地で面白かったりする。
私もH.R.モリスを何台か持ちましたが、良い自転車なのですが、「乗ると普通のスポルティーフ」でやはりタイムスリップ感がない。ラグは立派です。それはしかし装飾だから、自転車の本質ではない。これはへチンズなどにも同じことが言える。
私は「ああ、じつに良いな、こういう乗り味は現代車にはないな」としみじみ来るものが好き。
1930年ごろのフレディ・グラッブなどは最高だと思う。良く走るし、なによりもときめきがある。
1920年代のスローピング・トップなども奇妙なかたちだけれど、乗ると実に味わい深い。古いものなのにハンディを背負った感じがしない(上の右端、スポークは16番、実に細い)。マニアは「奇妙な形だな」と思うかもしれない。しかし、こういうものは、じつはこれだけでは本質が見えない。
この右端の自転車などは、『自転車単体で見てはいけない』典型です。もし、これに濃い目のニッカボッカをはいて、コーデュロイ・ジャケットにコーデュロイのキャスケットを被った人が乗ったらどうか?ダイアモンドフレームでは出せない味わいと迫力が出るはず。
私はじつは自転車は乗り手がない状態では抜け殻だと思っている。乗り手は全力で演出するべきだ。
また、その車両の「鮮度」も問題で、あまりに距離が出ていたり、中の錆がひどかったり、再メッキが入っていたりすると『腰が抜けている』ものがある。外観がどんなに綺麗でも腰が抜けているフレームでは乗って楽しくない。極端に薄い軽量フレームでもこれはよくある。石渡でも超軽量パイプは保証が半年ぐらいだったのではなかったか?それが何十年も経っていたらかなり危うい。握ると賞状のようにつぶれそうな手触りのものがたまにある。
だいたい重い自転車のほうが、パイプの肉厚もあって古いものでは安心できる。
昨日、Ebayでサドルを見たら、1940年代のオーバル・バッジのBROOKSが10万円ぐらいしていた。そうなると、古いサドルは良く良く注意して乗らないといけない。
そうしたふるいをくぐって、これぞという車両に絞り込む。「これだ!オレが探していた自転車は!」という感じでしょうか。その時代の絵を集め、その車両と同じ時代の工具を集め、タイムスリップ感を出す。
そういうところに古い自転車の楽しみがある。
「美学はその時代、その時代で完結している」ものです。1980年代の部品で、どこにも嫌な部分がない部品は2016年でも美しい。同じように1920年代のもので、どこにも目障りで嫌なものがないデザインは古めかしくとも2016年に通用する。
こういう「タイムレス」なものに落ち着きを見出すのも、また古いものの楽しみですが、いくら古くても、いくらレアでも、いくら高性能でも、2016年になって眺めた時に、美しいものとして、味のあるものとして通用しないものもある。
また古いものには修復家のセンスの問題もある。左から3枚目の車両のステムは別のジャンク車両から持ってきて組み合わせましたが、塗色はオレンジ色でした。不思議なことがあるもので、カシューの青がほとんどフレームの濃いブルーと同じだったので、カシューで塗った。古いステムですから、剥離剤につけたり酸洗いをすると弱くなるだろうと思った。しかも焼き付けをすると180度~210度ぐらいに温度が上がるので、70~80年前のものには過酷なことになる。カシューなら自然乾燥です。
この左から3枚目のBATESも、もとはフレームだけでした。最も苦労したのはヘッド小物。英国の自転車雑誌の仲間、レイモンドの助けがなかったら動くようには出来なかった。『ブレーキの当たり面のあるコンストリクターのリム』もこれに使ったのが私が持っていた最後の1ペア。スポーク穴によくヒビが入るので知られたリムなので、生存率がものすごく低い。つぶしたりヒビを入れたらもう次がない。こういうのは無目的に乗ってはいけない車両なのです。もともとは滑らかな木の床の六日間レースやまったく凸凹のない道路での10マイルのタイムトライアルなどを走っていたわけですから。
ブレーキを2点出してみましたが、時代を超えてどちらも完成されたデザインだと思う。どちらを好むかは好みでしょう。どちらも、いかなる時代に連れて行っても洗練されたものとして通用すると思う。