かつて、このあたりにはお寺の大伽藍と平安時代の豪族の荘園がありました。
つい数年前まで、その風情が感じられるところが、荘園あとにあったのですが、突如として木々が切り開かれて、駐車場と建物が出来、黒々としたアスファルトが敷きつめられたひろびろとした駐車場になってしまった。
たぶん、それをやった人には、山全体が見えなかった。「ここに駐車場をつくれば、月いくらはいる」というお金のことしかなかったのでしょう。1000年ほど前からの景観が半年で消滅した。
私の知る限り、都内で平安時代の荘園のおもかげが見えるのは、そこと、目黒の白金のところの保存エリアの2箇所だけでした。
それが「巨大なアメリカ式超肥満ワンボックスカー」と「黄色やベニショウガ色のピ化中コンパクト・カー」が並ぶ黒アスファルトの駐車場になってしまった。
なんとももったいない話です。
たぶん「景観を財産と考えず、地べたでどのくらい儲かるか」というのが、現代日本のビジネス・マインドなのでしょうが、歯止めがかからない感じで開発がとまらない。
ヨーロッパでローマ時代のマウンドの遺跡(土盛り)を切り崩すとなったら、まず通常許可は出ない。
そこから2~3百メートル離れたところのほんのわずかに残った林。ここも木の威勢が悪い。すぐ20m上はセメントとアスファルトで固められています。ここもいつまで残るのか。ここを「借景」としてすぐとなり1~2mまで建売がくる、のが日本式だろうと予測します。