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Channel: 英国式自転車生活
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日本のことなかれ主義

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このところ、やや疲れ気味で、集中力が長続きしない。

もうずいぶん前、10数年ほど前のことですが、ある自転車雑誌に「多摩川の道路を自転車道路と歩行者道路にはっきりわけて、2本道路を作り、無意味な護岸工事をやめる提案を雑誌がしたらどうか?」と提案したことがありました。

おそらく東京に大きい地震が来たときは、歩道橋も電信柱も倒れ、一般の国道はあちこちで撤去までのあいだ交通が分断されるはずで、鉄道も混乱するに違いないのです。

そうした時、モーターサイクルなどでも、歩道橋の崩れたところなどは乗り越えられないわけで、自転車は有効な移動手段になるはずと考えたわけです。そのとき、歩いて帰宅する人と自転車が対立せず、自転車の有効性を発揮させるために、歩行者道と自転車道をわけるのが不可欠、それは歩行者も自転車事故から守ると私は主張したのでした。「自転車雑誌が道路を2本立てにするよう署名活動をしたらどうか?」とも言いました。

残念ながら、「波風をたてるような特集記事はやりたくない」ということで、100万円超級のダウンヒル・バイクをプロモーションするのにまっしぐらで、聞く耳もたぬ感じでした。

歩行者の速度は時速4km、自転車は20~30kmとするなら、「自転車歩行者遊歩道」というのは速度差5~8倍のものを一緒のところを走らせているわけで、これは高速道路に自転車を走らせているに等しいわけです。

一緒に走らせる行政が間違っている。接触事故が起こるのは自転車のせいばかりではではないでしょう。

多摩川のわきの道はもともと「サイクリングロード」だったのが、いつのまにか「看板を架けかえ」歩行者との共用になってしまったわけですが、これはどちらのためにもならない(昔はレンタ・サイクルまで関戸の近くでやっていたのです)。八王子から渋谷あたりまで、多摩川べりを自転車で走って通勤することは可能ですが、歩いて通勤するのは不可能なわけで、「ゆっくり走ろう」というのは、自転車の社会的有用性を否定しているわけです。また、そういうところで、狂ったように「レースの練習場と勘違いしたロードレーサーが、無法に疾走して自転車の評判を落とす輩がいる」。ロードを自動車的感覚で疾走させ、ジェットコースターのように自転車で山を下ることをひたすらプロモートしてきた人たちの責任は大きいと思う。

関東に大きい地震が来る可能性が高いといわれている中、そういうことは重要だと思うのですが、まったく気配がない。まあ、なんというか、暗澹たる気分になります。

そんななか、先日読了した、NHK出版の原爆投下、黙殺された極秘情報という松木秀文、夜久恭裕両氏の本は面白かった。日本の大本営のなかの自己の保身と事なかれ主義、「最悪の事態を知らせないことでなかったことにする体質」が原発事故のなかにも同じ日本の系譜として連なっていないか?という結論は説得力があります。

じつは第二次大戦中、特殊爆弾を積んだ飛行機のコールサインも日本の軍部は把握していた。しかし、「そういう爆弾の開発はアメリカでも不可能である」との意見書をあげていた科学者、また、新型爆弾と認定するとみずからの戦争続行派の立場が危うくなる、などの自らの保身と利益を考えるのに忙しく、特殊任務を帯びたB29が、広島のときと同じコールサインを発して長崎へ向かったという情報を通信傍受をして解読する班は上へあげていながら、上層部は重要と考えず、長崎では空襲警報すら出されなかった経緯が詳細に検証されています。

これはおすすめです。政府で起こっていること、自転車の世界で起こっていることも、体質の根は同じではないかな?との「暗い感慨」(笑)を深くします。誰も責任を取りたくない、誰もが人と違う主張をしたがらないため、何も進展せず、ただ利益関係者だけがうごめいて、状況が悪いほうへ行く。

それと、いまは絶版のようですが、アメリカで出版されたロナルド・タカキの「アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか」(日本語訳は草思社から出ました)とあわせて読んでみると、じつにはっきりと一般に流布しているところとは違った全体像が見えてくると思います。こちらもかなり興味深い。大統領付きの参謀長だったレーヒ提督の回顧録などが引用されていますが、そこでレーヒ提督は「この野蛮な武器を広島と長崎に投下したことは、日本との戦争でなんら重要な意味をもたなかった。日本はすでに負けていた」と書いていることなどは、日本のあたりさわりのない教科書の内容しか知らない人には驚きでしょう。このなかに引用されている回顧録の別の部分「この新兵器に『爆弾』という言葉を使うのは間違いだ。これは爆弾ではない。爆発物ではない。怖ろしい放射能によって多数の人間を殺す毒物であり、爆発力によるより、放射能による死者のほうが多くなる。、、、これを使ったことで、暗黒時代の野蛮人なみの倫理基準をとりいれたことになる。、、、私は戦争をこのようなやりかたで戦うように教えられてこなかったし、女性や子供を殺害することで戦争に勝てるわけではない。、、キリスト教徒にはふさわしくないものである。」

流布されている説というのは、分野を問わず、誰のためになっているのか?日本ではここを疑って考えないといけない気がします。

この2冊にあわせて、ルーズベルトの時代、共和党の議員としてはげしくやりあったハミルトン・フィッシュの「日米・開戦の悲劇」も読むと良いかと思います。そこには「日本をいかにだまして戦争に陥れるか、」が11月25日に話し合われ、2日後、大統領はステイムソンに「どうして日本はまだ我々を攻撃してこないのだろう」と訊いたと、驚くべき証言が書かれています。

耳当りの良いことばかりでつくろっていては見えぬ真実があることをつくづく考えさせられます。

ところで「日米・開戦の悲劇」はまったく違う2つの本が、同じ出版社から翻訳本が出ています。ここで言うのは「ハミルトン・フィッシュ著」のものです。まったく同じタイトルの、外交官ジョセフ・グルーのほうのものは、なにか、ハミルトン・フィッシュの本を一般の日本人に読ませたくない海外からの圧力があって出版されたのかな?と私はぼんやり考えています。ハミルトン・フィッシュの本の内容は、50年経って情報公開されたアメリカの資料によって裏づけられています。

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