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Channel: 英国式自転車生活
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古代ギリシャのサンダル

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その昔、ヘンリーフォードがT型フォードを作ったとき、塗装は黒しか選べませんでした。「どんな色でも思いのままですas long as it is black.」というのはそれを茶化した有名なジョーク。

興味深いのは、その当時、英国では自転車は黒が多かった。亡くなった自転車歴史家で、サンビームの自転車のほうの世界一の大家だったジョン・ピンカートンは「グリーンも選べたのに、客の99%は黒を指定した」と言っていました。

私はジョンから10台ほどのサンビームをひきうけましたが、すべて黒でした。

「鉄の機械は黒」と19世紀にはそういうイメージがあったように思います。「黒船」「くろがね」、蒸気機関車、鉄橋、鉄の水車、圧倒的に黒が多い。

黒であるがゆえにフォルムは重要で、存在感のある、厭きの来ない親しみの持てるフォルムが必要であった。しかも鉄は重量のある素材なので、極限まで無駄を削ぎ落とさないといけない。そこに「美」が生まれる。

それに対してアルミはユルイ。軽い素材なので、「こんな感じ~♪」と「雲形定規でなんとなく引いたようなライン、コンピューターで引いたラインのもの」がほとんど。鉄のものにくらべて厳しく引き締まった無駄のなさに欠ける。

例をあげると、シマノのカプレオのクランクと1920年代のスチールクランクを、両方同じ黒い塗装で塗ってみたら、耐え難く重苦しく見えるでしょう。

つまり鋼鐵の時代は「削ぎ落とすデザイン」。エッフェル塔も鉄の橋も、アイアン・ゴージの鉄水車も、まったく無駄がない美しさに分類されるでしょう。

自転車というのもその時代に生まれました。それゆえ、本質的に「削ぎ落とした無駄のない形状の中に美が宿る」と私は考えています。

そうした時、アルミ合金、カーボンファイバーと言う素材は、ある意味まったく違う世界にあるものだという気がしてなりません。それは普通の内骨格のなかのパーツに外骨格をまぜてゆくような感じ。

「自転車本来の美」は私は削ぎ落として行くデザインの中にあると思う。

しかし、そういう美に消費者を触れさせないようにする大量生産は、人々の美に対する感性を麻痺させると私は思うのです。

ギリシャ彫刻の履いているサンダルは美しい。ボッティチェリの女神の履いているサンダルは美しい。しかし、最近のボッテリした安売りサンダルは「指の骨折のギブスがとれるまでの履き物」みたいな、とてつもない醜悪さがあるものがあります。「作り易さ」に対する姿勢が全面に見える。とうてい古代ギリシャのサンダルの末裔とは思えないのです。

古代ギリシャの美学を、ヨーロッパの高級な女性靴には、その伝統を感じます。しかし、私は自転車のレーサーシューズには、安い中国製のビニールともゴムともつかないユルイ形状のサンダルと同じ系譜のものに見えてしかたがない。

そこから目を転じて、自転車の部品を見ていると、やはり同じ「ユルイ形状」を私は感じるのです。

アレキサンダー王はその美しい履き物でギリシャからペルシャまで行った。果たして980円のサンダルで同じことが出来るのかどうかすら、私は危ういと思う。たとえ出来たとして、「壁画に描かれるようなカッコよさは決してない」と断言できます(笑)。

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