今週は古いカンパのボトムブラケットを探すのに2日半費やしました。フレームを作るのが仕事か、絶版部品を探すのが仕事かわからなくなってくる。
「なんでも作る便利屋」「注文どおりに出来るユーザーメイド」こういうアルチザンが高評価を得る現代の日本というのはきわめて文化的に興味深い。世界に例があまりないと思う。
元禄時代には、歯のところに引き出しのついた下駄を指物師に作らせる金持ちの町人がいたそうです。そういう伝統なのかもしれない。
ルネ・得るすと肩を並べたシュー華のところへ或る日本の部品ブローカーが「これでプロムナードを作って欲しい」と言ってスピラックスの変速器を出したところ、シュー華の親爺さん、指2本で汚いものを摘むかのようにして、無言でゴミ箱の中に捨てた、と言います。「やるな、さすが本物のアルチザンだな。フランスのボン・サンスだ」とそれを聞いて爆笑しながら思いました。
けさPCをあけたら、「28号を4段フリーで厚歯にして、ブレーキはカンパのレコードORのカンティにして欲しい」というメールが入っていました。時代にして40~50年違うものを組み合わせようという要望です。
「28号で富士パノラマでも下る気かな?」と腕組みしてしまいます。
レコードORに負けないようにフォークは補強して、タイヤはツーナイナーにしてフレームチューブはオーバーサイズにして、肉厚は厚くする。フロントはサスを入れて、そうなるとヘッドも太くして、ステムはやはりステアリング・コラムにあわせて太くして、そうなると、ハンドルバーの径も変わるから、ブレーキレバーもすべて変えるか、、、。厚歯4段で古いサンツアーではチェン・テンションが「富士パノラマ仕様」では弱いから、シクロのヘリコイド式リア変速器の4段を探して、タンデム(二人乗り)の時のようにスプリングを2本かけるか。
いわゆる「自転車始めて5~6年の人の作る雑誌ではトータルなまとまりというものへの視点が読者に育たない」。
今思うと、面白いのですが、最近「旅行車の父」のように言われている人が、昔は親方の自転車を三流呼ばわりしてこきおろしていた。同じことは西風の翁の自転車に対しても言っていたのを思い出します。
その理由は、「あそこはセミオーダーでフルオーダーではないから」と言うことでしたが、それは正論なのか?フランスへ一度もいった事のないひとのフランス式に関する勘違いだと私には思える。
かつて自動車の世界のパンサーは、ボブ・ジャンケルが『ぺネロープ号』のような六輪車まで注文でつくってくれたものですが、果たしてパンサーは『カタログ・モデル』のフェラーリを越えたのか?
先のエピソードにあるとおり、ルネもシュー華も、「寸法を乗り手に合わせる」のが主眼で、注文主に言われるがままに作っていたわけではありません。
昨日、絶版部品をひきとりに言ったところで、店主に、
「あと、このハンドル・グリップを」
と言ったところ、
「あれっ、これって思いっきり普通ですよ。」
「それがいいんだよ。嫌味がないカタチで。『早く人間になりた~い』。」
「ガハハハ。」
「なんでも作る便利屋」「注文どおりに出来るユーザーメイド」こういうアルチザンが高評価を得る現代の日本というのはきわめて文化的に興味深い。世界に例があまりないと思う。
元禄時代には、歯のところに引き出しのついた下駄を指物師に作らせる金持ちの町人がいたそうです。そういう伝統なのかもしれない。
ルネ・得るすと肩を並べたシュー華のところへ或る日本の部品ブローカーが「これでプロムナードを作って欲しい」と言ってスピラックスの変速器を出したところ、シュー華の親爺さん、指2本で汚いものを摘むかのようにして、無言でゴミ箱の中に捨てた、と言います。「やるな、さすが本物のアルチザンだな。フランスのボン・サンスだ」とそれを聞いて爆笑しながら思いました。
けさPCをあけたら、「28号を4段フリーで厚歯にして、ブレーキはカンパのレコードORのカンティにして欲しい」というメールが入っていました。時代にして40~50年違うものを組み合わせようという要望です。
「28号で富士パノラマでも下る気かな?」と腕組みしてしまいます。
レコードORに負けないようにフォークは補強して、タイヤはツーナイナーにしてフレームチューブはオーバーサイズにして、肉厚は厚くする。フロントはサスを入れて、そうなるとヘッドも太くして、ステムはやはりステアリング・コラムにあわせて太くして、そうなると、ハンドルバーの径も変わるから、ブレーキレバーもすべて変えるか、、、。厚歯4段で古いサンツアーではチェン・テンションが「富士パノラマ仕様」では弱いから、シクロのヘリコイド式リア変速器の4段を探して、タンデム(二人乗り)の時のようにスプリングを2本かけるか。
いわゆる「自転車始めて5~6年の人の作る雑誌ではトータルなまとまりというものへの視点が読者に育たない」。
今思うと、面白いのですが、最近「旅行車の父」のように言われている人が、昔は親方の自転車を三流呼ばわりしてこきおろしていた。同じことは西風の翁の自転車に対しても言っていたのを思い出します。
その理由は、「あそこはセミオーダーでフルオーダーではないから」と言うことでしたが、それは正論なのか?フランスへ一度もいった事のないひとのフランス式に関する勘違いだと私には思える。
かつて自動車の世界のパンサーは、ボブ・ジャンケルが『ぺネロープ号』のような六輪車まで注文でつくってくれたものですが、果たしてパンサーは『カタログ・モデル』のフェラーリを越えたのか?
先のエピソードにあるとおり、ルネもシュー華も、「寸法を乗り手に合わせる」のが主眼で、注文主に言われるがままに作っていたわけではありません。
昨日、絶版部品をひきとりに言ったところで、店主に、
「あと、このハンドル・グリップを」
と言ったところ、
「あれっ、これって思いっきり普通ですよ。」
「それがいいんだよ。嫌味がないカタチで。『早く人間になりた~い』。」
「ガハハハ。」