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Channel: 英国式自転車生活
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アレックスをめぐる回想5

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私がはじめてアレックスのところに長期滞在したのは1998年のことでした。思い返せばその時がもっともストレスなく、楽しい時期でした。それはアレックスも同じだったようで、彼は別れ際に、
「君はスペースフレーム・モールトンの本は持っているか?」
と聞かれました。私はあまり商売がらみのスポークスマンになる気はなかったので、そのあたりの話題はだしませんでした。しかし、一応本は持ってはいました。
「ええ、持っていますよ。」
「しかし、それには署名は入っていないだろう?今回のお互いに楽しかった思い出の記念に進呈しよう。持っているほうの本は誰か君の友人にあげたまえ。」

あの時のアレックスは自転車の商売のことも、王立アカデミーのエンジニア、サー・アレキサンダーの立場とも無縁でした。

朝食は町の人が毎日つくりにきていました。私はケンブリッジの家とフランシスのことを思い出しました。オーク・パネルの部屋も朝食の香りも同じ。そこで長いリフェクトリー・テーブルの長いほうの端と端に英国式に座り(フランスでは長い二辺の中心に座る)、「リトル・ロード・ル・フォントルロィ」の世界でしたが、はたして、これほどの生活を維持するのにどれくらいの財力が必要なのか?私には見当もつきませんでした。

私がいたケンブリッジの家のガス代から考えて、ボイラーなどのガスだけでも月に10万円の桁なのではないか、という印象です。ケンブリッジの家ではキッチンにAGAのコークス・ストーブを置いて、コークスは1トン1万円ぐらいだったように思います。調理と暖房をそれでまかない、居間の暖炉は庭の木々の枝払いをしたものを燃し、居間は囲炉裏のようなにおいがした。ボイラーは最小限度に使用をひかえていました。それでもボイラーというのはけっこう燃料を使います。その家では「日本式の風呂桶のすぐわきにつける小型湯沸かし器」への変換を真剣に検討していました。

バッファローからきたダグが「これほどの家にたまに宿泊できるというだけでも、王侯貴族にも出来ない贅沢だ。報酬の数字のことなどはまったく忘れてしまう。」と言っていたのを思い出します。私はそういう生活にたいそうこころ惹かれたのですが、一方で『自転車によるエコロジーライフ』を考える自分が、たとえば、自転車の積めないルノーアルピーヌのA110に乗って、、、お屋敷に住む、というのは矛盾するように思えたのです。THE HALLはその庭のサイズでもよくケンブリッジの家に似ていましたが、性格は180度違っていた。かたや、じゃがいもや林檎の木、ブルーベリーやラズベリーが植えられ、雑然としていました。主は脳溢血をやって片足をひきずりながら、つなぎを着て農作業をしている。もう一方は庭師が入り、芝生があり、庭木がある。見慣れた楽園と思えた踏み込んだ園が、じつは違うものだった、そういう気がしたのは2000年を越えてからでした。

じつはアレックスは、その私のケンブリッジの恩人を知っていました。
「君はケンブリッジに戻るというが、むこうに泊まるところはあるのか?」
「ありますよ。かつてお世話になった恩人の家へ戻ります。」
「大学の教授か、関係者か?」
「自分の息子と同じ研究室で研究をしたいと思って、大学にラボラトリー・ウイングを寄贈したH教授をご存知ですか?その娘で哲学者バートランド・ラッセルの友人だった人です。」
「ああ、その名前、聞いたことがあるぞ。たしかあの教授は山岳事故で亡くなったんではないか?そうか、君はあそこにいたのか。」
英国の中小都市はひとつの村なのです。Everybody knows everybody.

そのアレックスは、昼とかお茶の時間には、突然、
「R&F,ちょっと町まで出かけよう。」
とクルマで出かけていました。あまり知られておりませんがアレックスには妹(姉??)がおりまして、背格好も顔も博士に良く似ていました。この妹さんは画家で占いもやるという人で、占いの本も出しています。アレックスとはたいへん仲が良く、日本でも時間さえあると、絵葉書を自分で水彩で描いて、その妹さんへ送っていました。

そこへハンチングをかぶって登場し、普通のキッチンでマグカップで紅茶を飲み、新聞を読みながら世間話をしている様子は、完全に一般世界に溶け込んだ好々爺で、私はあの時がもっとも「素顔」であったと思えてなりません。アレックスには重い「しがらみ」と「屋敷の維持の心労」があったように思うのです。

そのコラボレーション計画は一部でずいぶんと反発を買いました。アレックスはその当時かなり売れていたバーディー(BD-1)にやきもきしていて、それに対抗させるのにFフレームの現代版を持ってくる気でいました。ところがこれが紛争を起こしたのです。アレックスは「古いFフレームは過去だ。そういうものを直すようなことは好事家にまかせておけばいい」また、設計年度の古いFフレームの修復完了車輌を最新のBD-1と比較させたくないという気持ちもあったようです。エンジニアとしてのこの当然の態度はマニアやコレクターには理解されなかった。

一部に大メーカーがからんでくるのはモールトンの威光がさがると主張「コラボ計画をブッ壊してやる」と宣言している人たちもいて、重役会議に黒いシャツ、赤いネクタイ、革ジャンにサングラスであらわれ、
「英国で作ってるからいいんだよ。アンタ達みたいのが作れば、ダッさいものになるに決まってるんだ」
と言い放って席をけって帰ってゆく人もいたりしました。重役の一人が、
「あまり英国紳士の感じではありませんねぇ。彼にはプロジェクトから抜けてもらいましょう。」
内心「Oh,no !」という感じ、私一人に仕事の上でも経済的にもすべて重圧がかかることになりました。英国へ何回か呼び出された旅費はすべて自前、どこからも出ない。レイノルズのフレームチューブが手に入らなくなり、アレックスを福島のカイセイまで連れて行ったときのお車代、ガソリン代すら、それでご商売している方たちからは一文もでませんでした。あの時の「ブッ壊してやる」という人たちがいたことによるアレックスのdistressは深かった。その焦燥感があまりに良く見てとれたので、私は何か滞在中にしてあげようと思い、「今回の滞在中にビジネス以外に何がやっておきたいか?」と訊ねました。アレックスは「寺が見たい。どこか近くでいい」というのと「三島由紀夫の家が見たい」という2つをあげました。そこで馬込の三島邸にクルマで連れて行き、そのまま轟不動尊へいって、下の川沿いを散策したのでした。運良く、その時は何かの縁日でぼんぼりがたくさんぶらさがっていて、それが日の暮れと共に灯りはじめました。
「This is romantic ! こんなすばらしい光景を現実に見れるとは思わなかった!」
といつまでも、そこを立ち去ろうとしませんでした。連れて行けて良かった。

しかし、私はこのコラボの車輌はよくできたと思います。『ダサいもの』にはならなかった。どうしてもクルマに積める分割可能な小径車が欲しいというのであれば、私にとっては忌まわしい記憶と結びついていますが、いまだにこれを推薦しています。

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