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Channel: 英国式自転車生活
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汝集めることなかれ

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長年自転車だの骨董だのやってきましたので、私は誰かの持ち物を見たときに、ちょっと違うところを見ます。

「持たなくていいものを持っている人」と「いいところを持っているな」という人。

日曜日は先週うちにきたハブを分解して掃除しました。これはある方の収集物だったのですが、開けてみたところ、グリスが酸化した独特のニオイがしました。

これは油も同様でやはり酸化します。まあ、てんぷら油が「疲れる」のと同じで、機械油やグリスもそのまま放っておいても酸化してゆく。これが自転車の場合、乗らずに置いておくと、同じ「点」にベアリングの圧力がかかり、そこへ酸化したグリスが加勢するので、ベアリング滑走面がデコデコになります。

その意味でうちへきたハブも危ないところでした。

そう考えてゆくと、20台とか40台とか自転車を持っている人のそれぞれの自転車はどうなっているのか?ということを良く考えます。

私も多いときは30台ぐらい持っていましたが、これはつらかった。「自分が自転車の整備奴隷」になった感じなのです。そこへレストアのための自転車がきたりすると、もう未整備の自転車を見るのも嫌になる。多くのマニアが心身をやられるひとつの原因がこの辺りにあると思います。

だいたい自転車とか古物の大コレクターの末路は悲惨です。コレクションが頂点に達したとき、家族に不幸が起こったり、自分自身が病に倒れるのがきわめて多い。

「では、どのくらいが適当なのか?」

自転車は基本、単一機能のものなので、目的別、あるいは走る場所によって車種の違うものが必要になる場合があるでしょう。私は「多くても5台」だと思う。「できれば3台」。1台では今度はそれが要修理になったときに困る。替わりにすぐ出撃できる使えるものがないのでは、実用性が落ちます。

きわめて特殊な人の場合でも、まあ、8台ぐらいが限界でしょうか。

有名な青山二郎の言葉に「観賞陶磁器」という言葉がありますが、「見ればわかる」ものはそこでおしまい。写真があればいいことです。青山二郎は「手許に置いて、使ってみないとわからない、そして使っているうちにさらに味が出て育つ骨董を愛しました」。

これは私は自転車もまったく同じだと思う。英国人の通が「英国ゴシックラグ」が厭きるというのも、それは「乗り味に貢献するところが少ない」からです。それはラグとチューブの接線線長が伸びて、表面張力によるロウの滲み込みがよくなる、ことからロウがまわしやすくなるという作る側の利点はあるものの、まあ、乗っては差が出ない。

その分解掃除したハブですが、球押しをみてわかるとおり、カンパにもひけをとりません。1950~60年代の日本製ですが、手で回して、カメラを片手で持ちかえ、ピントを合わせてシャッターを切るまでに40秒以上回り続けます。しかも「ハブの輪郭線にブレが無い」。つまりハブにガタも無ければ、歪みもない高精度でこのくらい回る、ということです。リムを組み付けない状態で40秒間回る現代のハブを私は知りません。

こういうものの積み重ねが、自転車の内部抵抗の少なさ、よくころがる、よく走る、へつながってゆくのですが、こういう部分は完成車になってしまったら見えません。

部品のブランドでも、最新型であるかどうか、でも外観のデザインの面白さ、でもない。

私はこういうものを自分では使っていたいと思います。他人が見て「なんだ鉄かぁ~」でもかまわない。持って重くてもかまわない。「す~っと滑るように走ってくれれば」。

この国産部品、名古屋のほうに拠点があったEikoushaの刻印があります。無名の安いものでも万金に換えがたいものは少なくないのです。このハブ、価格は最新の国産ブランド物の10分の1でした。本物の「日本部品の気合」がこもっています。日本の根性をアジアのよそのところで鍛造して打ち込んでもらったのではありません。

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