英国にいた時、その世話になっていた家のことをずいぶんまかされていました。
クリームはセインズベリで買え、肉はローカル・ブッチャーの◎×から買え、時計の調整はプットマンのところでやれ、と言う具合。
ところが、日本のある旧家の家の生活をテレビで見ていたら、大黒帳のようなものに、おおよそすべての生活のやらねばならない「頼む先」が書いてあって、ああ、英国と同じだ、と思いました。
こういうことは、たとえば、アメリカではあまり耳にしたことがありません。彼らはもっといいものを常に探し、納入先は変わっているでしょう。これはスペインなどでもそうでした。「今度あそこにカメラ屋ができたから、現像に出してみたら?」とか言われましたが、私なら考えてしまう。現像などは、一度やられてしまったら取り返しがつきませんから。英国では私は2ヶ所のプロラボしか信用していませんでした。日本でも3ヶ所しかまかせません。
先ほど米を買うのに、いつも買っているところに電話をしたら、「今年は完売」だそうです。まだ2~3ヶ月しか経っていないじゃないか、と思いますが、たぶん、水面下で、西のほうの米を買う人が激増しているのだと思う。私はもう15年以上そこの米ですが、そんなことはかつてなかった。
「◎×さんとこのお米がほとんどものは同じだけれど、認定はお金がかかるんで、あそこは認定とらなかったからカタログには載らない。あそこのではどうか?」
と言われました。こういうところは長年の付き合い。そこのものを代わりに注文しました。
これが職人仕事のものとか、いくつかの工程をへる製品の場合はもっとこれが重要になってきます。
自転車の場合もまさにそうだと思う。材料、溶接、などすべての総合的なものが最終的にきいてきます。
それが短期間でなくある程度の期間できるところが「御用達」になれるわけで、そういうところのものが「愛用品」になれるのだろうと思う。私は食器でもカバンでもライターでも愛用品が決まっています。変えようと思わない。愛用によってそこに人生が滲みこむような物でないと愛用品になれないと思う。
そのためには、長年飽きが来ず、使うほどに良さがわかり、満足が深まるものでないといけない。5~6年でまったく違うものに買い換えているのでは愛着も5~6年で捨て去っていること。愛用品にはなれない。
そういうものは、メンテや修理に出すこと自体がひとつの感動でもあるのです。なんとか年内に2つあるうちの一つのライターのパッキング交換をしに持ってゆこうと思っているのですが、なかなか時間が無い。たぶん、いままでの経験から、これで一回パッキング交換を済ませたら、あと30年やそこいらは平気でしょう。たぶん、自分の最後のメンテになる可能性大です。
銀座のその店に持ち込み、あとはなじみの店で洋食でも食べる。楽しみでなりません。
愛用品のない人生は、寂しいものの気がします。
クリームはセインズベリで買え、肉はローカル・ブッチャーの◎×から買え、時計の調整はプットマンのところでやれ、と言う具合。
ところが、日本のある旧家の家の生活をテレビで見ていたら、大黒帳のようなものに、おおよそすべての生活のやらねばならない「頼む先」が書いてあって、ああ、英国と同じだ、と思いました。
こういうことは、たとえば、アメリカではあまり耳にしたことがありません。彼らはもっといいものを常に探し、納入先は変わっているでしょう。これはスペインなどでもそうでした。「今度あそこにカメラ屋ができたから、現像に出してみたら?」とか言われましたが、私なら考えてしまう。現像などは、一度やられてしまったら取り返しがつきませんから。英国では私は2ヶ所のプロラボしか信用していませんでした。日本でも3ヶ所しかまかせません。
先ほど米を買うのに、いつも買っているところに電話をしたら、「今年は完売」だそうです。まだ2~3ヶ月しか経っていないじゃないか、と思いますが、たぶん、水面下で、西のほうの米を買う人が激増しているのだと思う。私はもう15年以上そこの米ですが、そんなことはかつてなかった。
「◎×さんとこのお米がほとんどものは同じだけれど、認定はお金がかかるんで、あそこは認定とらなかったからカタログには載らない。あそこのではどうか?」
と言われました。こういうところは長年の付き合い。そこのものを代わりに注文しました。
これが職人仕事のものとか、いくつかの工程をへる製品の場合はもっとこれが重要になってきます。
自転車の場合もまさにそうだと思う。材料、溶接、などすべての総合的なものが最終的にきいてきます。
それが短期間でなくある程度の期間できるところが「御用達」になれるわけで、そういうところのものが「愛用品」になれるのだろうと思う。私は食器でもカバンでもライターでも愛用品が決まっています。変えようと思わない。愛用によってそこに人生が滲みこむような物でないと愛用品になれないと思う。
そのためには、長年飽きが来ず、使うほどに良さがわかり、満足が深まるものでないといけない。5~6年でまったく違うものに買い換えているのでは愛着も5~6年で捨て去っていること。愛用品にはなれない。
そういうものは、メンテや修理に出すこと自体がひとつの感動でもあるのです。なんとか年内に2つあるうちの一つのライターのパッキング交換をしに持ってゆこうと思っているのですが、なかなか時間が無い。たぶん、いままでの経験から、これで一回パッキング交換を済ませたら、あと30年やそこいらは平気でしょう。たぶん、自分の最後のメンテになる可能性大です。
銀座のその店に持ち込み、あとはなじみの店で洋食でも食べる。楽しみでなりません。
愛用品のない人生は、寂しいものの気がします。