秋めいてきたので、ちょっと出すものがあって、押入れをかきまわしていたら、ぬいぐるみがあったんですねぇ。こういうものがうちにもあったんだ、と感無量。
いきさつはきわめて場当たり的でして、80~90年代小さいこども連れで遊びに来る仲間が多かったので、英国の救急車のようにぬいぐるみでも常備しておこうかな、と思ったのでした。
何かいい物はないか?と英国で物色していたところ、テディ・ベアの工房を発見。売っていた女性が、まあ、美女に免疫のある私も骨抜きになるくらいの絶世の美女で、そのまま店を出ることが出来ず、買ってしまったのでした。
「名前をつけないといけないわ。そう、ウインチェスターにしましょう。」
かくして、ウインチェスター君はうちにきたのでした。ドイツのシュタイフのものとはかなり顔が違う。
若かりし頃、フィレンツェのアルノ川の向こう側に「こんなにボッティチェリの絵に似ている人がこの世にいるのかな?」と思うくらいそっくりな若い女性が八百屋におりました。私は林檎をその「生けるシモネッタ・ヴェスプッチ」を見るために、その八百屋へ買いに行き、宿でその林檎を配っていました。
来る日も来る日も私が林檎を大量に無料で配っているので、宿泊していたアメリカ人が不審に思い、なぜそんなに林檎を毎日ただで配るのか?、と訊いてきました。それはかくかくしかじか。
アメリカ人は、それは興味深い。オレも一目見てみたい、連れて行ってくれ、というので、翌日は二人で行きました。彼もおおいに感動して、
「いや、まさに君の言うとおりだ、彼女はボッティチェリの絵のゼロックス・コピーだ」
ということで、彼はアメリカ人らしく、これまた大量に林檎を気前よく買ったのでした。
宿で我々二人が、「林檎はいらないか?」とただでふるまっていると、他の人たちも怪しんで、君ら二人はなんでそんなに毎日林檎を配っているのだ?ときいてきました。かくかくしかじか。
こんどは、6人ほどでぞろぞろその八百屋を目指しました。残念ながら娘さんはいなくて、太った母親らしき人が店番をしていました。
「イタリアは食べ物が美味いからな。」
「Indeed, indeed.」
「シモネッタ・ベスプッチは若くしてみまかったな。」
「Indeed, indeed. だから、永遠の美女になったんだな。」
このテディ・ベアも、「生けるゲインズバラのゼロックス・コピー」のために、あわや大家族になるところでした(笑)。
バースの郊外にあるティットベリーのあたりにテディベアのミュージアムがあります。そこからしばらく行ったところに王室の別荘があるので、たまに自分でチューリップブラックのアストン・マーチンを運転するチャールズ皇太子とか、故ダイアナ妃とすれ違いました。
そこへ友人と行った時のこと。その友人というのが、カミラ・パーカー・ボウルズ(現婦人)と瓜二つで、「『チャールズ』って叫べ。急停止するかもしれない。」とからかっていました。
このウエールズのドラゴンは彼女から来たものですが、名前はまだありません。
「Oh, thank you very much indeed. I will name it after you.」
「ちょっと、どういう意味よ。」
名前の命名はただごとではありませぬ。「我輩は竜である。名前はまだない。」