さきほど仲間に電話をしたら、ギターの練習の最中でした。
「なかなか上達しなくて、まとまって練習する時間がないせいなんでしょうけど。」
何を練習しているのか聞いてみると、ポール・マッカートニーの曲だということ。「おさびし山もいいぞ」とほとんど言いかけましたがやめておきました(笑)。
人間と言うのは、誰かに会うきっかけがないと、「火がつく」部分がないのかもしれないな、とたまに思います。絵画でも音楽でも文学でも自転車でも。
その火も、その以前に膨大な量の薪が無意識のうちに運び込まれていて、ある時に、何かのきっかけで突然火がともる感じがする。
それを一生自分で火が消えないように維持できる人もいれば、出来ずにやめてしまう人もいる。長年燻ぶっていたのが、あるきっかけでメラメラと燃えてくる時もある。
さて、そこでその人の深いところで奏でられている通奏低音は何なのか?
昔、作曲家の黛さんが、題名のない音楽会のなかで、ビートルズの曲をリュートで演奏させてみせたことがありました。びっくりするほど中世~ルネサンスっぽいのです。あきらかに伝統が血の中に滲み込んでいる。聞くほうもそういう伝統がほのかに自分の中にあるので、あれほどのヒットをしたのだろうと思えます。
リュートに興味のある方はYoutubeで以下の曲を聞いてみると面白いと思います。
* Julian Bream-Lachrimae by John Dawland
私の好みのリュート演奏家はコンラート・ラゴスニックとオィゲン・ドンボワですが。英国人をあげておきます。
これは日本人にはなんだか懐かしい感じがするのですが、桃山時代に、安土城などで西洋音楽が演奏され、セミナリオで日本人も楽器を学んでいたと言われています。どこか、そうした時代へ通じるものがあるように思われる。
英国の音楽と言うと、とかく、ビートルズ系とかが話題にのぼるのですが、私のイメージは違います。
そうした音楽のすべての底には、私は教会音楽があると思う。なにしろ冠婚葬祭すべてにそういうところでの音楽があり、人生から切っても切り離せない。ポール・マッカートニーの Let it be にしても、「Mother Mary comes to me」と言う歌詞があるとおり、ちょっと宗教的な響がある。これはヴォーン・ウイリアムスにしてもホルストにしてもどこかにそれがある。たとえ宗教嫌いの音楽家であっても、「スプリング・ボードとしての宗教音楽」がある。
普通の人が行く教会とは別に、英国のパブリックスクールや大学には礼拝堂があります。数えたことはありませんが、ケンブリッジ、オックスフォード両大学で60ほどの礼拝堂があるのではないか?町ではありません。大学のコレジの持っている礼拝堂です。
そうした宗教音楽を「聞き込んでいないと、西洋音楽のほんとうのところはわからないのではないか?」という気が強烈にする。
一つの大学に30前後も礼拝堂がある、というと、体育館程度を連想するかもしれませんが、とんでもない。なかにはヨーロッパの大聖堂もかなわないものがあります。興味のある方はYoutubede,
* Miserere Mei Deus (Allegri)-King's College Choir, Cambridge
で内部の様子もみれます。その歌われている曲も、私には英国の重要な「通奏低音」であると思います。
「なかなか上達しなくて、まとまって練習する時間がないせいなんでしょうけど。」
何を練習しているのか聞いてみると、ポール・マッカートニーの曲だということ。「おさびし山もいいぞ」とほとんど言いかけましたがやめておきました(笑)。
人間と言うのは、誰かに会うきっかけがないと、「火がつく」部分がないのかもしれないな、とたまに思います。絵画でも音楽でも文学でも自転車でも。
その火も、その以前に膨大な量の薪が無意識のうちに運び込まれていて、ある時に、何かのきっかけで突然火がともる感じがする。
それを一生自分で火が消えないように維持できる人もいれば、出来ずにやめてしまう人もいる。長年燻ぶっていたのが、あるきっかけでメラメラと燃えてくる時もある。
さて、そこでその人の深いところで奏でられている通奏低音は何なのか?
昔、作曲家の黛さんが、題名のない音楽会のなかで、ビートルズの曲をリュートで演奏させてみせたことがありました。びっくりするほど中世~ルネサンスっぽいのです。あきらかに伝統が血の中に滲み込んでいる。聞くほうもそういう伝統がほのかに自分の中にあるので、あれほどのヒットをしたのだろうと思えます。
リュートに興味のある方はYoutubeで以下の曲を聞いてみると面白いと思います。
* Julian Bream-Lachrimae by John Dawland
私の好みのリュート演奏家はコンラート・ラゴスニックとオィゲン・ドンボワですが。英国人をあげておきます。
これは日本人にはなんだか懐かしい感じがするのですが、桃山時代に、安土城などで西洋音楽が演奏され、セミナリオで日本人も楽器を学んでいたと言われています。どこか、そうした時代へ通じるものがあるように思われる。
英国の音楽と言うと、とかく、ビートルズ系とかが話題にのぼるのですが、私のイメージは違います。
そうした音楽のすべての底には、私は教会音楽があると思う。なにしろ冠婚葬祭すべてにそういうところでの音楽があり、人生から切っても切り離せない。ポール・マッカートニーの Let it be にしても、「Mother Mary comes to me」と言う歌詞があるとおり、ちょっと宗教的な響がある。これはヴォーン・ウイリアムスにしてもホルストにしてもどこかにそれがある。たとえ宗教嫌いの音楽家であっても、「スプリング・ボードとしての宗教音楽」がある。
普通の人が行く教会とは別に、英国のパブリックスクールや大学には礼拝堂があります。数えたことはありませんが、ケンブリッジ、オックスフォード両大学で60ほどの礼拝堂があるのではないか?町ではありません。大学のコレジの持っている礼拝堂です。
そうした宗教音楽を「聞き込んでいないと、西洋音楽のほんとうのところはわからないのではないか?」という気が強烈にする。
一つの大学に30前後も礼拝堂がある、というと、体育館程度を連想するかもしれませんが、とんでもない。なかにはヨーロッパの大聖堂もかなわないものがあります。興味のある方はYoutubede,
* Miserere Mei Deus (Allegri)-King's College Choir, Cambridge
で内部の様子もみれます。その歌われている曲も、私には英国の重要な「通奏低音」であると思います。