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Channel: 英国式自転車生活
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機械が変えるメンタリティ

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1990年代だと思うが、日本での車間距離の詰め方が奇妙な具合になった。1988年から1992年ぐらいから、車間距離があるとそこへ割り込んでくる奴が目立つようになった。『入れさせまい』ときわめて車間距離を詰める。

私は1960年に『助手席』に乗り始めた(笑)。それまでは後席でしたが。そのクルマはエドセルの設計のリンカンのハードトップ。あの時代、今からみると道路はガラガラだったし、クルマはその存在意味が少し違っていた。その当時、ギスギスした感じで運転する人はいなかった。箱根でも大弛峠でも出かけて行けばかなり速く走れ、逆に都市部では粛々、悠然と走っていた。

今の人には信じられないだろうが、昭和30年代、方向指示器は横へ光るものさしみたいなものがドアピラーから出るようなものもけっこうあった。いまなら引っかかってあぶないだろう。当時はそれでも平気なほど左右の車間距離もあけてみんな走っていたということだ。

ある程度の高級車にはうしろにカーテンの付いたものもあり、驚くべきは、室内に『ニンジン型の花瓶』が付いたものもあった。今のせき込むほどの芳香剤ではない。ほんものの花を一輪挿しした。

古いCGで、イタリアの330か何かの記事が載っていたのを、うろおぼえで思い出すが、その人が何かのはずみで、そのクルマを売ろうとして、どうしてもエンジンがかからなくなった話があった。『売って、面白くないけれどPでも買うわ』ということだった。結局、運ぶのにどうしてもエンジンがかからず、売るのを踏みとどまった。その人が記事の中で『60年代でクルマは終わっている』というコメントがあって、私は深く納得した。これはリアルタイムでその時代の乗り物をみていないとわからないだろう。

自転車だって、昭和20年代から昭和30年代の運搬車、実用車は昭和45年以降の実用車とはくらべ物にならない。実用車の地位が違った。泥除けなどのプレスの飾り小物も、明治になって失業した刀の装飾部品の職人の技に通じるものが、昭和30年代までは生きていたのを感じる。

クルマは乗り物としての、そのカテゴリーが変っても、『ボディの皮一枚』と『性能」に目をくらませられて、『存在意味が変わったことにはみんな気が付かない』。

病米利香で『ワイルド速度』のような映画が作られる背景を考えてみるとよくわかる。オードリー・ヘップバーンの『サブリナ』に出てくるクルマ。『バークにまかせろ』に出てくるRR。あるいはイタリア映画『昨日、今日、明日』に出てくるクルマ。飛ばすとか、破壊的な乗り方は一切無い。そういうことをするのはギャング映画ぐらいなものであった。私は『病理』が出ていると思いますね。

ボンド映画でカーアクションが出てきたとき、ドクター・ノオでは古めかしい『レー級シャ』は壊したが、サンビーム・アルパインは無傷だった。ゴールドフィンガーではテリー・マスターソンのマスタングが壊され、DB5も工場で壁に突っ込む。あとは古くさく見える勉津が次々と炎上。ここは重要な点で、『悪役たちがドイツのものに乗っている』ことで、ゴールドフィンガーは、本来持つべきではないすごい悪党が最高に趣味性の高いRRに乗り、英国の名門ゴルフ場を所有しているということなのだ。

裏返すと、『金がうなっていても、アイツには持たせなくない』というものの存在があったことが感じられる。

やがて、アメリカで『ヴァニシング・ポイント』が作られる。ダッジ・チャレンジャーだったかダッジ・チャージャーだったか(たぶんチャレンジャーだった)で、けーさつから逃れる話。たぶん、これはその後の米国映画のクルマの扱いに大きい影響を与えている。リメイクでは、GPSやヘリコプターをはじめとするあらゆる監視体制で、もはや逃げ場が砂漠でもないことが描かれていた。これが病的な感じでエスカレートして、うっぷん晴らしのアクションにのめり込むと『ワイルド速度』に行き着くのだろう。

これは、私は『戦闘機メンタリティ』と呼んでいる。最近の500馬力、2000馬力とか、無意味なパワーがあると、自分は『宇宙戦争』でヘロヘロに病気になって、円盤から降りて来る火星人のようにひ弱でも、クルマはそういう人には一種のパワースーツなので、欲しいと思うんでしょう。

これはロードレーサーも似たようなところがある。普通の人は電動アシストに乗り、それを追い越して『オレは強い~!』と雄叫びをあげる。ツーリング車に乗っている人は、もとより競う考えはない。目的地に無事につく、最晩年まで元気で乗る、それしか考えていない。それを追い越して『オレは強い~!』もないものだ。

あおりも似たようなもので、『オレは巧い~!』だったり『オレは速い~!』だったり、乗り物によって自我肥大しているのだろう。

倉庫で物を探し、戻ってきて、あまりに熱いので、まあ、近くに喫茶店もなかったので、マックへ入った自転車を駐輪場に停め、中に入ろうと歩いていると、そのマックは歩道とドライヴスルーの道の区別がない。そこを後ろから3発クラクションを鳴らすクルマがいた。運転しているのは30代の女性。
『ここは歩道とドライヴスルーの道の区別がないのが見えないのか。歩行者が10m歩くのを待てないでクラクションを3発ならすくらい余裕がない運転なら、クルマなんかに乗るな!免許を返上しろ!』と怒鳴った。

自分に理がないと思ったのか、反論せず、ふてくされた顔でこちらを見もしないで正面を見ている。
『2mぐらいのところで怒鳴られて聞こえないくらい耳が悪いのなら、やっぱり免許を返上したほうがいいぞ!』とさらに怒鳴った。追い打ち(笑)。

ひと月ほど前は信号無視の高齢者のクルマを追いかけて、次の信号で窓をコツコツと叩いて、
『アナタ、今の信号で、堂々と信号無視しただろう?こっちは青信号で渡っているのに、引っ掛けられそうになったじゃないか。信号も見えないなら、免許を返上しろ!』と怒鳴った。

その高齢者もこちらを見ないで、助手席のおばあさんが手を合わせて謝っていた。

こういう状況は、全世界的に起きているようで、ロシアでもヨーロッパでも、アメリカでもひどくなっている。これはドブネズミ走りが巧みにできるようになったクルマが、人を変えているのではないかな?と思う。運転して見ればわかりますが、2CVやパブリカ800で煽ろうと思っても出来ませんからね。

こういう時代にはあまり運転したくないものだ。するならばドライブレコーダー以外の物も欲しい(笑)。

『Q! Give me something ! I need few optional extras installed. 』

対抗手段をやっているあいだに同類か(爆)。

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