歳をとるほどにストレスのかからない生活が重要だと思うようになった。
さまざまなストレスがありますが、ある意味、自分のペースで淡々とやれるのがよいと思う。何とかしようと頑張っていることもたいへんなストレスになる。
この歳になって感じることは、映画やテレビの暴力的なシーンやアクションシーンもストレスになる。これは、たぶん、『戦闘モードで本能的に出る物質がダバ――ッと血液中に満ち溢れる』せいだろう。それが血管にも心臓にも、脳の血管にもおそらく良くない。
いぬなどをみていると、おっとりしているいぬもいるし、常に戦闘モードのいぬもいる。『このいぬは危ないな、むかし、ひどい目にあわされたのかな?』という感じのがいる。私はだいたい犬ウケがよく、すれちがうと、前足をあげてじゃれついてくるのが多い。あるいは遊びたいのをこらえて、シッポを振りながら何度も振り返りながら歩き去って行く。
一方で、過去のトラウマをストレスとして引きづっている険悪な感じのいぬがいる。人間と同じだ。
一目見て『アッ、これはイカン』というのもいる。テレパシー的にストレスがかかって不機嫌な心理は周囲に伝染する。いぬでもそうだし、人間でも『コイツはあぶないな』というのがいる。
ここ20年ぐらいで、電車の中で口論も無く、いきなり殴り合いになる人たちをよく見かけるようになった。いろいろな意味で長生きしそうもない。
大きな悲しみ、不安、喪失感、さまざまなものがストレスをかけ、心臓の具合に影響する。昔から『胸が痛む』とはよく言ったものだ。
逆に思いやりはテレパシー状態でひとに伝わると私は考えている。また、そういう感情が自然に湧いた時は、自分の心にも良い影響があり、ストレスの塊が融ける気がする。
『もう、こういう生活は嫌だ』と強く思うと、『じゃあ、生命活動止めてもいいんですか?』と身体が訊いてくるような、そういう印象がある。高齢者や病人などが『こどもの負担になるまい』と思うやいなやいのちが果てる場合を多く見た。こころと命はどこかでつながっていると私はいつも感じたが、唯識では深層意識の一番下の方はマグマのように命になっていると考えられている。
誰だったか、英国の有名な作家が、インドに赴任することが決まり、高齢の父親が『行って来い。おまえが帰ってくるまで、私は必ず生きている』と言った。そして、息子が赴任期間を終えて帰ってきて、一週間もしないうちに安心したように眠りについた。
うちでは飼っていたいぬがまったく同じで、心臓の具合が老衰でおぼつかなく、カンフルを打ってもらって、かろうじて生きている具合だった。最後のころ、玄関と自分のカゴのあいだを行ったり来たりしていたが、家族が全員帰ってきてそろったところで息絶えた。意識といのちはつながっていると、そのとき確信した。23年も一緒に生活していると、ほとんど人間並みだ。
F神父が書いたものの中に『いぬやねこにはこころはない。いぬやねこに感情があると思っている人は人間の精神の崇高性をしらない哀れな人たちだ』と書いていて、私は逆に彼を気の毒に思った。
ストレスはその精神的な部分にじわじわとよくない影響を与える。これは、いかに通常の意識の中であかるく、パワフルにふるまっていても、澱んだ部分に強いストレスがあると、長い期間のうちには身体をやられる。
あるクルマのデザイナーの友人が、『何か、悩みがあったり、こころが晴れない時には、クルマはダメだね。引きづっちゃって。バイクも飛ばしてもなんだかその思いに縛られて飛ばしているみたいで、さっぱりこころが晴れない。下手をすると増幅されて焼きこまれるような感じがする。だから、そういう時はボクは50ccに乗るんですよ。速度が変わると見える風景が違うし、ストレスがほどける感じがする。』
彼の言う意味はよくわかった。自転車でもそういう時は飛ばすとあぶない。むしろ、ゆっくり走ってストレスをほどけるようにしてやるべきだ。
自転車にのんびり乗っている時の『意識の流れ』というのは、ちょうど、適度な速さで画像が切り替わる。それがまた、ゆっくり味わって眺められる。その切り替わりの流れが、うまく意識の流れる速さとマッチした時、自然と頭の中をゴロゴロころがっていた不安や心配の塊が融けて来る。そのことをあまり考えなくなる。つぎつぎに展開する風景を統合するこころも自然とリラックスしてくる。
私が『疲れず、局部的な痛みがでない、いつまでも乗っていたいと思わせる車両の重要性』を強調する理由はそこにある。次々に変速したり、追い越そうとか、ダッシュをするとか、ブレーキングの時、前転しないようにサドルの後ろに腰をひくとか、そういうこと一切は『ゲームをしている時の指の技と同じ』で、ストレスをほどくのには向かない』気がする。これは、先のクルマに乗っても引きづってしまうというのと似ている。
私の場合、歩くと『うわの空』で同じ考えがどうどう巡りする。つまり、歩くのはほとんど考えずに自動的にやっているので、歩きは歩き、頭で考えるのは頭で考えることと別れてしまう。
キツイ運動をすると、やっている時はいくらか忘れるが、やめた瞬間にまた気持ちが元に戻る。
なんでも『楽しいこと』もストレスになるそうで、大金がころがりこんで来たり、家が出来上がるとぽっくりいってしまうのも、うれしさのストレスだという説がある。
高齢者で自転車に乗っていて長命なひとをみていると、ほとんどがこの法則にあてはまっているように、私には思われる。遅い自転車で、のんびりと自然の中を逍遥しましょう。きっと寿命が延びるはずです。