昔の下級武士は懐が寒く、蕎麦を食べることが多かったと言います。彼らが日々のこまごまとした出来事をメモしたものの中に蕎麦がよく出て来るという。
比叡山の説法へ出かけて行くと、来た人には白い握り飯がふるまわれるという。そのくらい、白米はごちそうだったということだろう。
昔の『めし屋』というのは『蕎麦屋』に対するもので、『米を食べさせるところ』の意味だったのではないか?と推測している。だから、芝居でさむらいが店へ入ると、『めしをくれ』というだけで、おかずのことは何も言わない。
そこから考えると、蕎麦に餅が入っているのは景気がいい、御馳走だったのだろう。
なんでも、関東では普通な『ちからそば』が地方によっては珍しいらしい。ただ、私はそとで力蕎麦はあまり頼まない。理由は『餅のうまいのを使っている店が少ない』のと、焼き方も下手だったりする。
『白いビニールじゃないの?』というような味もそっけもない餅が入っている場合が多い。
ダメな餅は白いビニール、米国の安物チーズはオレンジ色のプラスチック、といにしえの賢人も言っている(爆)
逆に言うと、自分で作る力蕎麦には別の名前をつけたいと思ったりする。考えたのは『豪傑蕎麦』。同田貫きを振り回したあとに最適(笑)。
どこが違うかというと、つゆ、蕎麦、餅、すべて美味くないと話にならない。つゆは通常のかけのつゆよりややシイタケをきかす。蕎麦は更科や御前蕎麦風ではなく、ごそっとした野趣あふれるものにする。
餅は玄米のコクのある餅を香ばしく焦がす。油で揚げても構わない。ただ玄米餅の焦げた香りが重要。
それをかけ蕎麦のなかに『じゅう』と落とす。蕎麦の味と玄米餅の味の間をとりもつのに、揚玉を入れる。これも油が上質で、かつ化学調味料などが入っていないものでないと完結しない。
そうすると、玄米餅は溶けてほどけやすいので、野趣あふれる蕎麦のまとわりついて、揚玉を餅が取り込んで、いい具合になる。そこへ葉ネギを入れる。太いネギではネギの香りが強すぎて、玄米餅の繊細な香りを覆い隠してしまうので豪傑蕎麦には向かない。
味を締めるのに、『柚子七味唐辛子』をかける。エ~、ヴォアラ!(笑)
つゆのもとやだしのもとは私は使いません!メダム、メシュー、それはメ!ノン!ですぞ(爆)。
久しぶりに言ってみるか、『うまいんだな、これがっ!』(笑)