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Channel: 英国式自転車生活
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夏枯れ

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夏も今頃の時間になると、暑い中での作業に根気が切れてきます。絵を描いている時などもそうですが、自分がやっていることが客観的に見れなくなってきます。それを無理に続けていると絵をいじり壊す。

それでも製作する、、というのは「作があれる」ことになるわけです。

そう考えてみると、人が一生につくれるものの数は決まっているように思います。

これはまったく奇妙な例ですが、ゴッホが彼の弟テオへの手紙の中で、「創作意欲と性欲の強さは比例している」という一文があって、若い頃読んだ時、何をヘンなことを言っているのかな、彼らしくもない、と思いましたが、このころは一理あるようにも思えています。

絵画もあるいは工芸品も「こどものようなもの」で、それは製作者の死後も生き続ける。自動車も自転車も、ある程度以上のハンドメイドに近いものは、製作者の寿命よりはるかに長い間生き続ける。

そう思って製作しているものは、いわば製作者の分身をつくっていると言えると思えるのです。

そう考えてみると、名車と言われるものは、製造者の名前そのものの場合が実に多い。ブガッテイ、ベントレー、ロールス・ロイス、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェ。自転車ではチネッリ、コルナゴ、ルネH、へチンズ、クロード・バトラー。ブラフ、ラッジ、ノートン。

名前にはその製作者のなんらかの「理念」が含まれていたりする。「会社を巨大なものにしよう」とか「オデッセウスが旅の途中で見つけた、それを食べると故郷のことも浮世の憂いも忘れてしまうと言うロータス」とか、「知性の勝利を信じてミネルヴァ」とか。

個別の車種の名称も興味深い。なんとかして「イメージ」で売らんと考えて付けた名前。

ちなみに英語圏で、みんなが笑う名前は「セドリック」とか「グロリア」。自転車でもなぜか「野球用語」の名前が付いたものがある。あるいは自動車の名前を付けた自転車。

「28号」というのは、じつは「鉄輪28号」でして、「650Bではなく、インペリアル28インチ、つまり700C」ということで、「650Bのほうでなく、スチールリムの700Cのほうでゆく」という時に仲間内で使っていた暗号名でした。

親方が、雑誌に載ったりしたときそれらしいイタリア語の名前を仮決めしておいたほうがいい、というので、モンテフェルトロと一時期図面に書いていましたが、私は日本の車輌は日本名が好ましいと思っています。ですので、その名前は立ち消えになった。

名前はその個性の入れ物であり、そのものの歴史が入るわけですから、それがないということは輪郭線が定まらない。また、過去に存在した名前を買い取るということは、その名前にまつわる輪郭線を買い取るということです。

ちょっと気力が落ちて、ひと休みして、問屋さんやしぶやんと電話で雑談していたのですが、「下働きを入れたら?」としぶやんに提案されました。ただそれはちょっと変わるだろうな、と思うのです。親方のブランドでも、私の知っているだけでも、フレームに火を入れていた人は、現在までで10人います。

そのブランドが10人のうちの誰の手によるものか?私なら気にする。OK君が手伝ったものか?奥さんのものか?MO君の作ったものか?それはひとつのブランドになったとき、複数の集団の工房から出てくる以上、そうなってくるのはやむをえない。

ただ私ならクロード・バトラーなら名人「ビル・グレイ」の作のものを探します。

これは当然なのではないか?だからこそ、メルクスはフレームの転写シールとは無関係に転々とビルダーを渡り歩いたのではなかったのか。

本質的に、自転車は大量生産に向かない乗り物の気がします。

「名前もバッジのデザインもだいたい考えがまとまったんだ。」
「英国式の紋章みたいなのがいいですね。名前はBではじまるあの名前ですか?」
「いや、そういうものはやりたくない。」

会社的な名前も、欧米的な名前も、ブランドじみた名前も嫌だなと思うR&Fでした。

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