自分はまったくそういう方向のことに興味はないのだが、偶然、以下の話はネットのニュースのいもづるで出てきた。
最初は『GASとエレキのまとめの姉さん』がFUKA-きょーさんだと知って、『え~~ずいぶん印象変ったな~』と思って、なんかで出るかな、とググッたら、『くびれがなくてプロwrestler体形』とかずいぶんひどいことを書いているのが目に入った。
どうも最近のインターネッターは、もう、なんでもかんでもネットに相談、すぐさまランク付け、つぎからつぎへ新しい人が出てくるので、『劣化』だのなんだのと平気で言う。聞き苦しいことこのうえない。
あの方、ぎすぎすした歳の取り方をしていなくてじつによいと私は思う。こどもへの接し方がつくりものっぽくなくて、たぶん、『地』なのだろうという気がする。
私はいつも、『このぐらいの歳になったら、こういう風になりたい』というイメージがあった。こういう服が似合って、こういう乗り物に乗って、、というイメージ。
50歳ぐらいからはジャック・タチの僕の伯父さんのように、ヴェロ・ソレックスなどもいいかな、と思っていた。ところが、日本製の小さいエンジンのものは、『排気量によるピラミッド』の格付けにより、身長174~182cmが乗ってさまになるものがない。『身長150cmの女性にも乗れて、たくさん売ろう』と思うのか、どれも小さい。2種類の大きさを作ればよいのだが決してそう言うことをしない。
逆から押さえてみよう。『雰囲気を醸し出すことがメイン』なわけだから、『演出するのに最適なものを選ぶ』のが重要になる。そのおしゃれ(乗り物も含めてだが)が出来るだけの体力も必要だろう。
すべての人は、その年齢で、相応の魅力が演出できるはずだ。
『いつまでも若いころのままで、とっちゃん坊や』のようだと年輪も深みも出ない。たまにかつての藍ドルで、『あまりに見た目も薄い』ので、『この人の10年は1学期かな?』と思ったりする(爆)。
これは一日にしてならず。よく言う話だが、『その人がどのくらい自転車に習熟している達人か?』は自転車に乗っていなくても、自転車を押しているだけ、自転車を立てかけようとしているところを見ただけで、どのくらいの人かわかる。
同じことは、インド料理屋でナンやチャパティをちぎっているところで、その人がインドに住んだことがあるかどうか、店の人はわかる。これはナイフとフォークを使って食べているところを見れば、もし、その人が英国に長期間住んだことがある人なら、よほどのマナー知らずでない限り、英国人はすぐわかる。他のヨーロッパの人やアメリカ人がやらない、特有の癖がありますから。
これは一人の人物の立ち居振るまい、着こなし、趣味、態度風体、さらには『顔』にすべて、その人の今までの日常が刻み込まれる。
その『プロWrestler体形』ということで、どういう意味なのかな?と女子の人をググってみた。ところが、ここ数年で、そういう方たちがのきなみ若くしてみまかっているので、そちらのほうがビックリした。
男にせよ、女にせよ、年輪を重ねたうえで、深くその時間を味わい、貫禄のある雰囲気を演出できないのは無念だろう。その可能な年齢になる前に寿命が尽きてしまうのは避けたい。
そう考えて節制すると、自然と、偏った食生活や美食、過度の飲酒、喫煙とは無縁になってくる。
古来、賢人の間では『七等覚支』と云うことが言われたものだ。これは、心底幸福に充実した人生を生きるための、7つの支える要素と言っても良い。その中に『喜覚支』というのがある。これは日々、喜びに満ちて生きていること。私は、毎日、じつは楽しくて仕方がない。折り返し地点を過ぎて、残りもみえてきてしまっているが、本を読んでも、展覧会を見ても、旅をしても、若いころよりはるかに深く味わえるので、残り時間が少ないのが残念でならない。
その七等覚支のなかに、軽安覚支というのもある。これはそういう日々を送り、ある意味突き抜けているので、飄々として、こころも軽く生きているさま。私は先の、ジャック・タチの僕の伯父さんを見ていると、たぶん。彼もそうした境地にいるのだと思う。
しかし、そうなるためにはけっこう『意識的生活』が必要になるはずで、そこを抜けてこないと『軽く、楽しい、生活』は来ない。『歳をとって仕事が無くなれば自動的にやってくるはずのものではない』。
すべての人は歳をとる。最終的に老人となり、不摂生をしてれば病気になる。そうした時、颯爽とした、『きれいな老人』になるには、一夜漬けはきかない。金があるだけでもダメ。健康にも注意を払い、それなりに充実した精神生活を送っていたら、歳をとって人相が悪くなることはない。
最近のスポーツ系のもめ事のニュースを見ていて、若いころは颯爽とした選手だった人たちが、『どうしちゃったの???』という、水戸黄門に出てくる、よからぬお代官様のように男も女もなっているのは、体力だけ、鍛え方、身体能力だけではダメだということだろう。