もう40年ほど、『ファッション雑誌に出ている自転車のページをスクラップする』作業を続けている。
きわめて興味深いことは、レーサーがあまり出てこない。ほとんど出てこないと言ってよい。
また、もうひとつ興味深いことは、出てくるものの多くが『ゴールデン・エイジ』と呼ばれる1920~1930年後の車両か1950~1960年代のものが圧倒的多数を占め、現代の最新車両はほぼまったく出てこないということだ。
このとこは常に私の頭の中で『課題』としてころがっていた。
多くの場合、一般の人にはロードレーサーの部品のグレードなどわからない。道行く人にケンタウルのついたレーサーとスーパーレコードのついたレーサーを見せても、どちらも同じロードレーサーに見えるだろう。もし、すごく趣味の良い色に塗られたフレームにアテナが付いて、あまりパッとしない色に塗られたフレームにスーパーレコードを付けたとする。一般の人は好みの色のフレームの車両を気に入ると思う。
この場合、『部品のグレードというのは、大多数の人にとって記号に過ぎない』。
私が1930年代の英国のロードスターに乗っていた時、『そういうのが欲しい』と声をかけられた5人のうち3人が芸大の人、2人がムサ美の人、残る一人が多摩美の人だった。
京都にいる京都芸大出の友人が、数年前半べそをかいて携帯電話に電話をかけてきた。
『オーバーホールをしてもらったら、ブレーキを取り換えられてしまったんです。ちいさくてかわいい格好だったので気に入っていたのに、なんだか武骨でずいぶん醜いものに替えられてしまったんです。そういうものって、交換しないといけないものなんですか?』
とのお尋ね。もとに入っていたのはダイアコンペの古い小ぶりなカンティ・ブレーキだった。入れ替えられたものは、ぬるっとした形状で、もっさりした『なめくじカンテイ』(どこのメーカーのものかは言わない。笑)
メカに詳しくない人は、グレードにまどわされず、美しいものがわかると思う。
ヨーロッパのファッション雑誌には黄金律がある。出来るか、手が届かないか、ぎりぎりのラインのあこがれを狙って、倦怠に満ちた現実からの逃避を可能にする。夢を見させ、目標を与え、ライフスタイルのヒントを与える。
なので、自転車はわき役であり、最新のスペックである必要はまったくない。『旧型よりいかに軽くなったか』とか『旧型よりいくつ変速段数が増えたか』とか、『どこのレースでどのチャンピオンが使ったか』などというのは、じつはライフスタイルにまったく関係がない。
それは競技でコンマ数秒縮めようとしているひとにのみ関係する。
健康のため、運動のため、体力維持のため、に乗っている人にはコンマ数秒の差は関係ない。だから、フィットネスという観点でもレーサーはファッション誌と接点が出にくい。
そもそも、上に出したような、砂浜、落ち葉のあるぬかるみ、ジャングルの中の地道、などは最新のレーサーでは自転車散歩をしても不愉快なだけだろう。しかも、ヤシの葉のカゴを付けて、果物を買って積んで帰って来るなどというライフスタイルは見せられない。
レーサーというのは基本的に『タイムを負かす』ためのものだから、速さが命。ライフスタイル全体にかかわるものではない。一方で、ヨーロッパには『ライフスタイル』を完結させるために必要な乗り物というので、大切にされてきたものがある。このふたつはじつはなかなか交わらない。
これは100年ほどまえからそうなのです。じつはあの、ツール・ド・フランスでは変速器が長らく禁止されていた。一方で『旅道具』、『村から村への個人移動の道具』としての自転車には変速器が付けられていた。
ツール・ド・フランスの主催者だったデグランジェは、変速器を付けて、一日400kmも自転車で旅をするヴェロシオを『あのドあほう』とさげすんでいたのは有名な話だ。
右端のポスターは、そうした変速器、レトロ・ダイレクトを付けた車両のポスター。
これはじつは自動車の世界でも、『2つの世界』は存在する。ヨーロッパに於いては、『スタイルを持つ』というのは、決定的に重要なのだ。英語で『あなたはスタイルを持っていないわ』と言われたら、『貴方は魅力がないわ』と言われているに等しい。無色透明のつまらない人と言われているのも同じことだ。
すごいものを持つのはお金があれば出来る。しかし、スタイルを持つのは難しい。
ほんとうのスタイルを持つには『芸術的センスが必要』なのではないか?と私は思う。ちなみに、つぎの動画をYoutubeで観て欲しい。
This is How to live life as a Bentley Boy
映画としてもみごとで、日本の普通のテレビの乗り物CMよりよく出来ている。スヌーピーは犬小屋の上で飛行帽をかぶってコスプレをしているが、スヌーピーは戦闘機、ソーピッツキャメルに乗っているという設定になっている。じつは、ソーピッツ・キャメルのエンジンはW.O.ベントレーが設計したものだ。
上の動画でメトカーフ氏は戦闘機乗りのイメージで、暁に出撃する。彼は幼いころ、父親に連れられて、夏休みには北米へ渡り、ひと夏で3万キロもヴインテッジ・ベントレーに乗っていたという筋金入りだ。そこにあるものは、『単なる最高速度と性能ではない』。
これは自転車の世界でもまったく同じだろう。
レースは勝てばヒーロー。モテることもあるだろう。しかし、それ以外のホビー・レーサーはスピードで自分の世界に入っているわけだから、第三者が入る余地はない。また、一人の世界なわけで、ファッショナブルにはなり得ない。ファッションは表に向けられたひとつのアピールですから。レーサージャージは『ロゴの入った一種の記号』なわけで、ここも『記号を知っている人の間でのみ通じることとなってしまう』。
スタイルを持つこと、、これはかなりの努力がいる。