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Channel: 英国式自転車生活
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雷雨

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『猛暑のあとは嵐のような夕立か。』

天善は上方の友人に送るものがあったので、早飛脚に荷物を渡しに出ていた。

彼は双輪車の部品を伊太利亜國より届け、お盆が過ぎれば再び羅馬に向けて旅立つ。

激しい雨に打たれ、蝉の幼生が路上でひっくりかえっていた。無数の小さい蟻が襲い掛かろうとしていた。

『蝉に産まれるのも楽ではないな。』
天善は蝉を拾い上げると、蟻を振るい払って、近くの楢の木にとまらせた。何ごともなかったかのように、蝉の幼生は幹を登って行った。

天善は雷が嫌いではない。こどものころから雷が鳴るとわくわくした。

入道雲がもくもくとわき上がり、人の大脳のようなカタチになる。そうすると、そこへ神経が走るように、雲の中を光が移動し始める。それが溜まって来ると、太い光が大地を撃つ。

天善の夢は雷の鳴る夜、稲光で国宝の宗達の雷神図を眺めることだった。

ちょうどお盆の入りの日だった。
『いにしえの人たちは、地中で何年も暮らした蝉が、ある時を境に地上に出て、自在に空を飛ぶように、人もまた、地を這う生活から、自在に移動するものとなると考えたのかもしれぬ。10萬億仏土の果てからやって来ると信じていたわけだからな。』


天善は若いころ、切支丹伴天連の南蛮寺に出入りしていたのだが、あるときそこを抜け出ようか?と真剣に悩んだ時があった。しかし、南蛮寺で教義を教えていたような者がそこを抜け出るというのは、たいへんな意志力を必要とする。


天善の好きな画家に葛飾北斎がいるが、北斎の伝記を読むと、北斎が兄弟子たちにいじめられていた時、彼は妙見菩薩様に『日本一の画家になれますように』と願をかけた。その帰り道、北斎の目の前の木に雷が落ち、北斎は、それは妙見菩薩が願いをかなえると約束されたあかしだと理解した。そこから彼は我々の知る北斎になったといえる。

天善はそんな時期、彼の友人の女人が欧羅巴へ帰る数日前、『古いお寺を見たい』というので、薬王院と金剛寺に連れてゆく約束をした。


雲一つない天気の中、二人は山を登ったのだが、彼女があれは何か?と小さいお堂を指さした。天善は近寄って由来を書いた板を読んだ。それは役行者、つまり神変大菩薩に捧げられたお堂だった。古い記憶がよみがえってきた。こども時代、双輪車で谷沢川の等々力渓谷へよく行った。江戸の中の唯一の渓谷であった。そこは霊夢に神変大菩薩が現れて寺の開山になったと伝えられている。

『何かうぃっしゅをかけてみましょう。』
と彼女が言った。天善は、さて、何をお願いするべきか、迷った。
『こどものころ、よく等々力でお会いしました。お久しぶりでございます。この女人が、2か所の寺で退屈しませんように。そこで、生涯忘れることの出来ない良い経験ができますように。また、北斎が妙見菩薩様が目の前の樹に雷を落としてそのみあかしとされたように、私にも進むべき道が明らかになるような神威をお見せください。』
と祈願した。

さて、天善と女人は山を下り、麓で食事をして、金剛寺に向かった。


それまで快晴だった空は白っぽく雲がかかった。強い風が吹き始め、参道でぽつりぽつりと来た。山門をくぐったあたりで、風はますます強くなり、空の底が抜けたような雨が降り始めた。声も聴きとれないくらいの雨音。やがて雷が1発鳴った。

天善は作務所の執事のところへ行き、『かなりすごい雨で、雷も鳴り始めましたが、護摩行は行われますか?』と尋ねた。答えは『定刻通り行います』とのはなし。

天善は宝輪閣の軒先で、雨宿りをして、そのすごい雨の様子を『銀版風景複製機』で写した。1枚目には、本堂の中に『エレキテルあんどん』の光が見えている。2枚目を写そうとしたとき、地響きがするほどの大音響が響き、白い光の柱が見えた。えれきてるの変圧器に雷が落ち、一瞬にしてすべてのエレキテルあんどんが消えた。

『おおっ!神変大菩薩様が、余の理不尽な望みを聞き届け、みあかしをなされた。』

天善は感無量であった。護摩行は一切のエレキテルのものが消えた状態で行われた。平安時代のご本尊が巨大な和ろうそくで照らし出されていて、まさに時空の中を、雷鳴一発で平安時代に引き戻された。

後にも先にも、天善がえれきてるの人工光線なしでそこでの護摩を見たのは、その時だけであった。それからほどなくして、その平安時代のご本尊は奥殿に遷され、身代わりのご本尊がつくられ、その身代わりのご本尊の御前で護摩が修行されるようになった。


まさに千年に一度の稀有な体験であった。


早飛脚に荷物を渡したあと、その昔の体験を思い出しながら、あと一つ、奇妙なことに気がついた。
『そういえば、あの時の雲は真っ白であった。黒雲ではなかったな。それも不思議なことだ。』

頭上で真っ黒な雲が広がり、雷鳴が大きくなってゆく中、家路を急ぐ天善であった。

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