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Channel: 英国式自転車生活
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乗り物の文化

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英国の自国の自動車メーカーはどこも買収されて、いまやみんなよその国のメーカーになっている。

今回は『ロールス・ロイス』の話をちょっと書いておこうと思うのです。この話はミniの45周年誕生パーティーの夜、アレックスとローヤル・サルートを飲みながら話していたことですが、彼は『ミniは英国の文化そのものだ。あれは英国に残すべきものなんじゃ。』という彼の話から、『文化』と乗り物の話になった。

『ご老体大丈夫か?』というぐらい、夜11時過ぎまで話していた。

2人で延々と議論していたので、要約すると、ハンドリングが良いとか、最高速度が高いとか、加速が良いとか、壊れないとか、静かであるとか、そういうものは『製造技術であったり』『エンジニアリングであったり』で、じつは乗り物の『文化ではない』という話。技術と文化は関係がなくはないが、イコールでは結べない、という議論。

また、こうした事柄は、『後からきた者の方が、昔は製造法の限界で出来なかったことが出来るようになったり、有利に働く』ということ、これは奇しくもマイク・バロウズと同じようなことを言っていた。マイクは、彼のカーボン・ファイバー・モノコックが、昔はプラスチックだったりグラスファイバーだったりしたものが、カーボンが出て来て、たまたま彼がそこにいて、自転車のカーボンファイバー・モノコック・フレームが出来た、と流れの中で自分を位置付けていた。

その流儀で行けば、フランク・ボーデンがもしカーボンファイバーを知っていたら、彼のプラスチック・モノコック・フレーム、スペース・ランダーを世界最初のカーボンファイバー・モノコックとして作って、マイクを数十年出し抜いていただろう。


自動車においては、ドイツや日本はその点でも『後発の恩恵を被っている』わけで、英国でV12が普通にサルーンに使われていた時でも、ドイツも日本も生産車にV12はなかった。


さて、話を戻すと、ロールス・ロイスだが、そのスタート時には、ロイスは『高級車を作ろうという、豪華絢爛主義ではなかった』。当時の自動車があまりに欠陥だらけで我慢ならず、信頼性の高いものを自分で作り始めたら、その理想主義からきわめて高いものになった、ということだろう。

それは『故障知らずで長距離を走破し』、『一度買ったら一生モノ』というところがまず第一にある。決して顕示的消費の対象ではなかった。

その昔、Tさんがシルヴァーシャドーを買おうと思っているとアレックスに言ったら、『でかした!それで君はもう残りの人生で2度とクルマを買う必要がない』と言われた話は以前に書いた。

私の住んでいた家の主人は戦前のRRの字がまだ赤かった頃のツアラーを持っていましたから、半世紀以上乗っていたことになる。

チャールズ・ロールスはロイスの作る自動車を販売させてくれ、とヘンリー・ロイスにコンタクトをとったわけですが、ロールスはロイスに『航空機用エンジンも作ってくれ』と懇願していた。しかし、ロイスは常に断っていた。やがて、チャールズ・ロールスは飛行機事故で命を落とすことになる。

そこで思うところがあったのか、ロイスは航空機エンジンの設計製造に乗り出す。最初のモデルは『イーグル』だったか?うろおぼえですが。やがて、その航空機エンジンは、改良開発が続けられ、アーサー王伝説に出てくる名剣エクスキャリバーや円卓を作った魔術師の名前をとって、マーリン(Merlin)・エンジンと名付けられた。

これがのちに、スピットファイアに積まれたエンジンの元で、バトル・オヴ・ブリテンでドイツの敗北を決定的にした。このロールスロイス・エンジンは航空機の分野で世界記録を1920年代から1930年代まで、数多く打ち立てている。

また頑丈で、どんなに機械的に深手を負っても、家までなんとか連れて帰ってくれる高信頼性の忠実なエンジンとして、飛行機関係者には絶大な支持を持っていた。その延長線上にあったスピットファイアに飛行機乗りが絶大な信頼を寄せていた心理的なものも無視できないだろう。

戦後、ファンタムで大陸高速連続走行をやってみせた背景には、『壊れず無事にどんな遠くからでも運転者を連れ帰ってくれる』という飛行機への信頼と同じものがクルマにもあったはずだ。私の会って言葉を交わした古いRRのオーナーは口をそろえて、遠くまで行っても疲れず、壊れずに帰ってこれる、ということを自慢げに語っていた。


つまり、高級なこれ見よがしも、押し出しの良さも、ガジェットとも無縁だったのだ。だからこそ、『運転手付きばかりがのうではない』、とベイビィ・ロールスという2ドアの小型のものが戦前に作られた。現代のドイツ式RRが壁のように長大なのと好対照である。


そういえば、RRの先端にスピリット・オヴ・エクスタシーというのが付いているが、あれには前身別デザインの像があって、妖精が口に片手を当ててささやいている(それほど静かだということ)ものが試作されているのは、あまり知られていない。

アレックスは軍用機アブロランカスターの図面を引いていたわけだし、WW2の記憶も生々しいので、自分の生きているうちに、まさかスピットファイアのエンジンを作っていたメーカーのクルマがドイツブランドになるとは信じられなかっただろう。

そもそもモンタギュー伯爵の秘書、エレノア・ソーントンがあのラジエターの上の彫像のモデルになったわけだが、そのモンタギュー伯爵とエレノア・ソーントンの乗っていた船は、ドイツ軍の魚雷によって、沈没し、エレノア・ソーントンは溺死している。

ドイツ人はそういう歴史を知っているのだろうか?

いや、一部のドイツの人は知っているはずだ。WW2の前夜、航空エンジンの世界記録の多くはロールス・ロイスのエンジンによって打ち立てられ、陸上の世界記録は英国のマルコム・キャンベルのブルーバードやジョン・コブらの英国人によって打ち立てられ、船の世界ではやはりイングランド勢が記録を打ち立てていた、文字通り『陸・海・空』の三世界制覇だった。これはドイツの丸に三方向のマークがやはり『陸・海・空』の三階級制覇を意味していたことを思うと、比較すると面白い。その意味で、ドイツ人にとってRRとベントレーのブランドを手に入れることは悲願だっただろう。


先に、私の英国の友人のRRは半世紀以上使われたと書いた。それで『価格は下がっただろうか?』。むしろ横ばいか上がっているのではないか?現代のドイツの高級車なら10年で3分の1ぐらいに落ちるだろう。つまり別なカテゴリーの物だろうという気がする。十年で数千万円の物的資産の目減りプラス維持費というのは英国的な価値観ではない。英国でsocial respectabilityというと、みすぼらしくないものに乗り、維持費に無意味な金額を出さず、合理的に考えて選択するはずだ。その友人は戦前のRRを工学部に無料で寄贈すると言っていた。アレックスも自宅はトラストにして、工学部がデザイン学部の学生に開放し使わせたいと言っていた。そういうところが英国的なのではないか? noblessobligeというやつです。


まあ、朝だし、この調子で書いていると、熱くなるので、今日はこのへんで(笑)。

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