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Channel: 英国式自転車生活
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陰気なヨーロッパ

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ウン十年前のこと、それまで展覧会の絵画や、翻訳された書籍、コンサートを通じてしか知らなかったヨーロッパへ上陸した時の話。

私は第一印象とかその土地で最初に受ける感じと言うのを非常に大事にする。第一印象というのはだいたい間違っていない。第一印象が暗いというのは、草の生えない土壌のようなもので、いくら頑張っても植物、とくに巨木などは生えない。

逆に巨木が生えている場所は、何か良い要因がある。そういう場所は鬱蒼としてしていても、パワーがあり、その木陰の暗さや湿潤な感じは幽玄さを生み出す。その湿潤な暗さは物が育つ力の元となる場合が多い。

日本でも武家は『草がよく育たない土地に屋敷を建てるな』と言われていた。

文化もそうではないのかな?と思う時が多い。作物がよく育つ場所では、食料の心配がなく、暇な時間と心の余裕が生まれ、文化が発展する。日本の縄文文化なども大規模な戦や同族争いが数千年にわたってなく、船を使って交易をして珍しい石で宝飾品を作り、かなり沖合でしかとれない美味い魚を食べ、家の周りに栗などの果樹を植えて、自給自足体制をつくり、すばらしい手の込んだ土器や漆製品を作っていた。

お隣の文明も河に沿ったところで、農業がうまくゆき、四大文明圏のひとつをつくった。


中東やアフリカでは、あるとき砂漠化がすすみ、文明は消滅した。サハラ砂漠はかつては大緑地で動物もたくさんいて、壁画も残されたが、みんないなくなって、いまは砂漠があるのみである。中東でも、いま我々が使っている時計の12進法、60分で1時間などというシステムを生み出したウルやウルクのあたりは、砂漠であって、栄えていない。その滅び方はレンガを焼くために樹木を斬って使ったため、保水する者が無くなって、一気に砂漠化がすすんだと考えられている。


この第一印象というのは、たぶん、動物的なものだろうと思う。日本で私が旅していていいな、と思うところはだいたい縄文の遺跡が出る、縄文の重要な拠点だ。

そんな私がはじめて上陸したヨーロッパはベルギーだったのだが、正直『嫌な場所だな』と思った。ヨーロッパというのはこんなに陰気で寂れて、枯れ果てたところなのか、、と暗い思いだった。

その頃、みんながアメリカを目指す中、『アメリカの文化には共感しないから、いくらトレンドでも、オレはアメリカへは行かない』と英国に舵を切った自分は、『これは英国はもっと陰気かもしれない』と失敗したかな、と不安になった。

それほどベルギーの印象は良くなかった。

その時の私のベルギーのイメージは『死都ブリュージュ』を書いたジョルジュ・ローデンバッハとか、青い鳥でノーベル賞を受けながらも、その後盗作騒ぎを起こしたメーテルリンク、大正時代にずいぶん日本で流行った詩人ヴェルハーレン、象徴派の画家クノップフというようなところを連想した。

ローデンバッハはただ憂鬱なだけで、読んでいると鬱病になりそうな文学。まったく面白いと思わなかった。メーテルリンクはエリック・サティ、ドビュッシー、メーテルリンク、、の三角関係でとらえていたが、まったく共感出来なかった。そもそもメーテルリンクはドイツと組んだ日本を許さず、日本で自作が読まれないように画策し、遺書にまで書いていた。彼はカソリックだったはずだが、『許す』という徳目から考えて、許し、そして読んでもらって、かつての敵にも変化を促すというのが本来ではないのか?

興味深いことは、これらの人たちはフランスへ移り住んだり(メーテルリンクはフランスに城を買ったし、ヴェルハーレンもフランスに移り住んだ)、外国へ出て(といっても自分の母国語の圏内といってもよい場所だが)そこそこ成功した。

アガサ・クリスティはよく考えたもので、アルキュール・ポワロをベルギー人の設定にした。それはフランス人を英国で活躍させるというのには問題があると考えたのだろう。そもそもベルギーはナポレオンとの戦争の後、英国が『ドイツ、フランスとの緩衝地帯』として人工的に作り上げたようなところがある。英国が後ろを押したのだ。


そうした背景があって、ベルギーはソヴイエトと対抗する拠点として、ながらくNATO北大西洋条約機構の本拠地として、ヨーロッパの一つの『ハブ』であった。それが宝石の取引などの中心地になったりして繁栄を勝ち取ったわけだが、ある意味、官僚機構で潤った場所というところがある。


その後、ソヴイエトが崩壊して、ベルギーの地位は姿を徐々に変えた。『ヨーロッパをアメリカ合衆国のようにして、そこの頂点にベルギーが立とうというような野望がほの見えるようになった。現在すでにブリュッセルはロビー活動の拠点として、アメリカのワシントンDCとほぼ同数のロビー活動者たちのオフィスがある。


現在、EUに加盟した東ヨーロッパの国々は、『我々が選挙で選んだわけでも、落選させることができるわけでもないベルギーの人々が、なぜ我々の国の生活すべてをコントロールしようとするのか?それは民主主義ではない』と怒りの声を上げ始めている。


EUに入って、英国はよいことがあったのか?『自由貿易で利を得たのはドイツだけ』,通商では英国は常に不利な役回りを演じさせられた。


家電で有名なダイソン氏がヨーロッパで彼の製品がいかに多くの障壁で阻まれ、不平等な競争を強いられて、英国のEU離脱を支持していることは日本ではなぜか報道されない。たぶん、英国に自動車工場を多く持つ日本の自動車産業の『顔色を忖度している』のだろうと私は考えている。


いま、英国がEUから抜けてEUはたいへんな税金の増額が予測されていて、ドイツやフランスは税金増額で経済の足が引っ張られると予想されている。それほど英国のEUへの貢献は大きかった。その英国が抜けるので、御大自ら、はるばる日本まで首相に会いにやって来たと考えるのが状況だろうと私は見ている。


その英国のEUへ供出した金は何に使われたのか?スペインで橋を作り、誰も利用者のいない空港を作り、高速道路をつくり、ドイツがギリシャに地下鉄や鉄道をドイツが作りまくり、ギリシャを財政破たんさせたのと同じ構図だ。ギリシャは今後50年か100年か知らないが、ドイツの経済奴隷になって借金を返さないといけない。財政破たんしたギリシアは日本の隣国のアジアの超大国に港湾施設のインフラを売り渡している。そして、ドイツの自動車産業はその国と組んでいる。

これはゆくゆくは、日本の自動車産業が、『ドイツの工業技術+日本の隣国の巨大市場と安い賃金』の製品とアジアでもヨーロッパでも競争することになることだろう。

はたして、そういうEUは善なのか?という話だ。私は日本はむしろ英国と組むべきだと考えている。

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