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Channel: 英国式自転車生活
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貴族的清貧

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貴族という語と清貧というのは、一般的にはなかなか結び付かないかもしれない。しかし、私には日本と英国では、『上流の人の清貧』というのが確実にあり、深いところで結びついていると思う。

アメリカとかオーストラリアではそうしたアッパークラスの清貧というのは見たことがない。『倹約、節約はある』。しかし、清貧というのはない。ラテン国ではやはり『宵越しの金は持たない』みたいな感じで、悲愴感なく使い切る(笑)。清貧とはちょっと違う。


ドイツはやたら細かい。トイレのフタから、トイレットペーパーの向きから、じつにこまごまと干渉してくる(笑)。稼ぎにもクールなところがある。あそこで清貧は難しいだろう。オーストリアやハンガリーにはおおらかな清貧がある。


さて、今日の新聞に『新潮の広告』が出ていて、『成人病が待つカップラーメン』という見出しが躍っていた。これはたぶん編集者の実感なのだろうと思う。私の知っている出版関係の編集者で、カップラーメンとコンビニの揚げ物を毎日のように食べて、40代で内臓ボロボロというのが10人ほどいる。


ところが、何年か前に、KABUで大儲けした金持ちがテレビに出ていて、自宅には巨大なパソコンのスクリーンがいくつもあって、食事はすべてカップ麺という人がいた。たぶん、『キャッシュがかかっている巨大なゲームで、一時たりとも手が離せない』のだろう。

もう、貯めるだけ貯めて引退しているのかもしれませんが、ひとたびダメージを受けた内臓が長寿スペックにもどるのか?戻らないのか?

海外のSNSの記事で、『収入がある一定水準に達すると、それから先は、収入と幸福感は比例しない』という調査記事を読んだ。私の経験から言って、月収100万円以上は、それから先いくら儲けても、ほとんど実生活のレヴェルに差は出ない。月収100万円の人と月収1000万円の人で、「身なりは同じ」、「乗っている乗り物もほとんど同じ」、「食べるものも、行っているレストランも同じ」、むしろ100万円の人の方が、ストレスが少なく、時間的余裕があり、より多く長期旅行をしている人が目立った。

むしろ、弩外れた高額を稼いでいる人は『ニヒル』な人が多いというのが私の印象。あまりに富んでいるとものごとに無感動になるのではないか?たぶん『ああ、よかった。ああ、嬉しい』というハードルが異常に高くなっているのではないか?

我々が、正装用の札入れの中に移し忘れた1万円札と5千円札を発見し、『おおっ!ラッキー、これであのレストランへ行こう』と、彼女に電話する感動は、日収100万円の人にはあるまい。

実際、なぜ金が欲しいか?といえば、1)良い生活をして、2)さらに安心が手に入り、3)夢が実現できる、、このあたりだろう。1)はべつに大金がなくても実現できる。2)にはまた『持てる者の苦労と悩み』がある。3)は金がそれほどなくても実現できるものがある。

モテるモテないはお金とは直接関係がない。うなるほど金を持っていて、気の毒なくらいモテない人はいくらもいる。また金がなくてボンビー生活でも不思議とモテる人もいる。

さて、それでは、その入って来るものを『どこまで絞り込んでも、高い質の生活は可能なのか?』。これに対する回答が『貴族の清貧生活』だと私は考えている。

通貨というのは、何かと交換してそのちからを発揮する。今週は『細かい文字を筆で書く時のワンチン(腕枕)』を3000円で買った。清時代のもので、緻密な風景が彫られている。たぶん、万の桁、それも十の桁ではないか?と思うのだが、破格に安かった。それで、端渓と那智黒の硯を持ち、香炉で老山古渡白檀を焚き、隣国のはるか山奥の名刹の石碑の拓本を臨書する、、これは昔なら将軍、大僧正でもかなわなかったことではないのか?

お茶、、今はティークリッパー『カティサーク』より速い飛行機で紅茶が来る。それを銀のポットで入れ、王室御用達のカップで飲む。日本茶ならやはり銘茶をしろなんきんで、あるいはヨーロッパで『王の身代金』と呼ばれ珍重された青磁で、奈良・京都の国宝の寺の装飾・荘厳に使われた七宝の茶托で飲む。大僧正もかなわぬ贅沢(笑)。

ある時はヴイオラ・ダ・ガンバとリュートの音楽。かつて、安土桃山城でセミナリオの生徒たちが演奏した曲がスイッチ一つで自宅で流れる。信長級の贅沢(笑)。

しかし、そういうものは誰もいまは追いかけない。1000円~2000円~3000円で青磁の茶碗も、七宝の茶托もヤフオクで買える。パソコンに音響設備をつなげば、Youtubeでそういう音楽は無数に、無料で聴ける。

100年前、英国の高級自転車は、ロールス・ロイスのシャシーの10分の1の値段だった。いま、私が乗っている28号はそれの『modern take』だ、はるかに軽く、よく走る。遠くまで行ける。科学的知識も深まって、より健康に良い食べ物を選択して食べることも可能になった。乗り物に不満はない。


あと、充実すべきは、『より好きなことをする、自由な時間を多く』ということと、『豊かな自然』、『そうした生活を維持するコストの安い社会、つまり、家賃も土地代も税金も安く』。社会はのんびりとして、ストレスのかからないギスギスしていない社会。国と国とのいがみあいと覇権・領土の争いがない地球。そんなところが私の望みだ。

こういうものは、貯金通帳の残高とは、直接には全く関係ない。


どこかで、多くの人が『本末転倒』させてしまっているように見える。社会的成功も経済的成功もZESTで引っ張られるならば、『貴族的清貧』を貫かせようとする『こころの芯』は何なのか?

たまには立ち止まって、じっくり考えてみるのは無意味ではないだろう。

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