Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

風景VS人工物

$
0
0









もう古い車両をあまり乗らなくなって10年ほど。ひとつには日本でヨーロッパのものを乗っていると、『あまりに不調和』な感じがする。それがヨーロッパに置いてあった時のことをわかっているだけに、ますます我慢がならない。

それでは、日本の古い物を日本で乗ればよいか?というとそうでもない。『日本では人工建造物で風景が消失している』ので、何に乗ってもしっくりこない。

ヨーロッパであれば、ちょっとした昔からある都市に行き、古い物に乗っていれば、自動的に自然調和する。逆に言うと、そこで調和しなければ、自分の装いがどこか間違っている。

数年前、京都の時代祭りを見に行った時、装束は素晴らしいんですが、『セメントの京都は最低だな』と思った。ヨーロッパで生活経験がある人はピンとくるでしょう。歴史ある都市としてピンとこない。現代の都市として、モダンな部分が美しいかどうかはかなり疑問符が残ろ。

時代祭りを見ていて、『フォトショップ・サングラス』かなんかで、背景のビルをすべて消したいと思った。

数日前、八王子を抜けたのですが、『部分写真を撮って、埼玉の大宮の写真と混ぜたらわからないのではないかな?』と感じた。

古い物に乗ればタイムスリップ感があり、新しい物に乗れば未来が見える。それがヨーロッパの都市なのだが、いわば同じ同一の場所で『Two possible worlds』が見える。

かつて、ベルト―ネは未来的なクルマを古代ギリシャの建築の前で写した。そうするとどちらもモダンにみえる。日本でも一時期そういう時代があったが、このところまったく消滅した感じがする。

どうも現代日本のものは、乗り物は乗り物、洋服は洋服、都市は都市で、お互いに連携していない。同じ都市の中でも隣りあう建築がまったく関連しておらず調和がない場合が多い。そういうところで、美しく都市の風景の一部になる車両が生まれてくるのかな?と考えざるをえない。

なんだがドイツ車まがいのフロントグリルになったり、キッチンのガスレンジみたいな計器盤になったり、『小手先のコスメティック・デザイン』。そうかと思うと、ゴールドフィンガーのオッドジョブないでたちで『付けヒゲ』つけてヴインテッジまがいの自転車に乗って見たり、それはどこを、何を目指しているのか?私には迷走している感じがする。だから、私は最近の古い自転車の集まりには出かけない。

ヨーロッパを知っている人は、みんな日本で、この『アィデンティティ・コンプレックス』で悩む。むかし、とよ太『世紀号』はヨーロッパの高級車を『真似しないように』頑張っていた。しかし、いまや西陣織を内装に使うことなどきわめて難しいだろう。また、それが生きる都市風景もなくなってきている。

自転車に関しては、ヨーロッパでもなく、大華でもなく、古物でなく、最新型でもなく、、、。

到達すべき先の隙間は限りなく狭い。私も残り時間が少ないので、外している人やものの間違い指摘』に費やす時間はない。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>