うちの近くにある大通りを夕方走ると、まあ、みんな急いでいる。クルマも急ぐ、スクーターも急ぐ、自転車通勤組はみんなヘルメットをかぶってやはり急いでいる。
駅に行くと、やはりドアめがけて走っている人を見る。新宿駅の広場のまわりとか、みんな人にぶつかっても平気でやはり急いでいる。
これがヨーロッパから来た人たちには、「常になにかに突進している風」に見えるらしい。
昭和50年代ぐらいまでは、自動車でもしずしずと格調高く走る人を見たものだが、1980年代後半からイタチのように走るクルマが増えた。そういう場所でセコセコ飛ばすのにハンドリングが急ぎ走り向きなものが『よい』と言われるようになった。
昨日、乗ったタクシーはまあ、急ぐこと急ぐこと、ピァーと飛ばしてブレーキでぎゅーんと減速して、また加速する。体調が悪くて病院までタクシーで行くなどと言う時、こういう運転手が来たら悲劇だろう。
運転手は加速の時に後頭部に血が溜まり、ブレーキをかけると前頭葉に血が流れ、その、頭の中で血が波打つのが気持ちが良いのかもしれないが、乗っている方はただ揺すられているだけだ。
汚れたちゅーかりょーり屋の冷蔵庫の陰から、触角を上下にふって様子をうかがい、人気がないとみるや全力疾走するゴキちゃんに似ている(笑)。
これはきわめて興味深い現象で、1970年代にも自動車がどれもこれもハードトップ、ツィンキャブになったことがあった。おとなしいセダンのチョイスが極端に減った。いすずのフローリアンなども、4ドアなのにハードトップのような、そうでないような煮え切らない奇怪なデザインになっていた。運転しては悪くなかったのに残念なことだ。
これは、実に興味深いことで、ここ15年ばかりのロードレーサー系車両一辺倒と似ている。自転車も『とにかく急ぐ車両』になっている。河原の遊歩道へ行くと、やはりみんな走っている。のんびり散歩している人は少数派だ。
『悠然と、威厳をもって乗れる自転車が極端にない』。とにかく、貧乏くさく、速く急いで乗る。
ここ1年、2年、3年、そうした『飛ばすための自転車で致命的な大事故を起こした有名人は少なくない』。そういう競技用部品の有名な設計者もヘリコプターで運ばれるくらいの大事故をプライベートで起こした。あるいはやはり、足がペダルから外れず飛び込み前転で首をやったメーカーの重役もいらっしゃいます。
それでも、まだ一般の人に『速さ』や『競技車両のフリンジにある自転車』を薦める人の思想がわからない。
大きい幹線道路で、『自転車に乗って速くなろう』とスクーターを追いかけて走り、排気ガスを毎日深呼吸して、煙草も吸わないのに肺癌になって60歳ちょっとで寿命が尽きた選手が何人かいらっしゃる。
そういう立ち位置にマインドがセッテイングされている人は、『それ以外の角度から、まったくものごとが見えなくなっている』。悪いけれど、うちの28号を、幅の狭い競技用リムにして、ハブもオールカンパにして、前傾して乗って、幅の狭いロードレーサー用のサドルを入れるくらいなら、ロードレーサーに手首のいたくなる一文字ハンドルを付けて乗っていればいいじゃないか。
そういうのは、寿司屋に行って、『自分はマヨネーズとケチャップが大好きなんで、いつもハンバーガーとかマヨネーズをかけまくったタコ焼きが好きなんです』と、しめ鯖だろうがトロだろうがマヨネーズをかけ、シャコや穴子、エンガワにもケチャップをかける人とどこか似ている。現実にそういう人がいるんです。『日本の醤油をつけて食べる味覚に自分を合わせてみよう』とは決して考えない。『ケチャップとマヨネーズ文化こそが世界を制覇する最高の味』と凝り固まっている人を何人か知っている。
英国でお城に呼ばれて紅茶とサンドイッチが出てきたら、キューカンバー・サンドイッチで、バターとモールドン・ソルト、黒胡椒に決まっている。『マヨネーズを付けてください』とは言えない。そのキューカンバーサンドイッチと紅茶を半年も食べていれば、その組み合わせの動かしがたい『妙』というものが見えてくる。
トップギアの初期に出ていたクィンテイン・ウィルソンが、プライベートでジョン・レノンが乗っていたのと同型のファンタムを買って持っていた。乗りこんでいるうちに良さが沁み出て来るのを味わい、手放しがたくなった話をしていた。
ファンタムをスポーツカーの判断基準で評価しようとしても、無意味だろう。
自転車も実はまったく同じなのだが、なかなか理解されないようだ。