私の友人に筆を作る人がおりまして、何度か筆を作るところを見せてもらったことがあります。まずはさまざまな毛が並べられている。それをいろいろ組み合わせて、芯になるところのコシを出しているようでした。それを特殊な金属の道具でシュッ、シュッと撫でるようにこすって、よくない毛を抜いて行く。そうしてそろってきたものに外側の毛を板状に並べたものを巻いて行く。それを縛ったり、竹の軸に着けたろして、さらに出来上がったものをもんだりして、糊をつけて完成する。じつに地味な作業で、畳の部屋に座っての作業だった。一日に10本とか20本とかしか作れない。
タヌキとかウサギとか、馬とか、そういうさまざまな毛をブレンドして個性を作る。
筆がなければ、書も絵画も漆も成立しない。それはどんな筆でもよいというものではありません。ある種の仕事をするには、どうしても特別な筆がないと仕事にならない。
筆の職人さんがいなくなったら、書家も画家も塗師も困るだろう。
最近は筆を使うどころか、筆ペンなどというものがあらわれ、筆は100円ショップで売られるようになった。一日に20本ぐらいしか作れない物を、100円で売らせるために30円で作れますか?日当600円とか800円?
これは筆だけではない。絹織物なども状況は同じで、いまや日本では2か所しか活動していないと聞いた。絶滅危惧産業。実際、そうした織物の産地の人で、いろいろと活路を開こうとして、どうにもならず、文具の会社に就職した人を知っている。
実際、ハンドビルトの自転車というのも似たような立ち位置にある。
私はさまざまな意味で、自転車を製作することは必要だと思って、採算度外視で踏み込んだわけだが、いまや、スチールフレーム用のエンドは日本のメーカーは存在しない。フレームのプレスラグのメーカーも存在しない。
ノウハウは手取り足取り隣国に教えた人たちがいるので、隣国にはノウハウがある。頭を下げてかつて教えたことを教わりに行きますか?
自転車のノウハウもしだいに消滅し、日本でつくることは、早晩、極端に難しくなるだろうと思う。うちは何気なく仙人クラウドに線引きを入れたが、それは毎日実用車の線引きを何十年もやってきて得た熟練の方にお願いしている。同じように引ける50代、40代、30代の人を私は思い浮かばない。
多くの熟練技が無くなってゆくのではないか?意外なことにドイツの自動車産業は、ボディの試作のプロトタイプの叩き出しはすべてイタリアに頼んでいる。イタリアには技術があるがドイツにはない。
そのイタリアに、スチールフレームのロウ付けが巧い職人は壊滅状態で、3社ほどが同じ下請けのところに出している。
ずっと発展途上国製の洋服を着て、フランチャイズで食事やコーヒー、ドリンクを飲んで、ブラックボックスの電子機器製品を使って、『インターネットに訊く』という行動を長年続けたら、そこから突然変異的に手先のものすごく器用な、独創的な人材が出てくることはあり得ない。
非常に標準的、平均的なものしか生まれてこないだろうと思う。最近、自動車が売れないことの背後には『どのクルマも同じ雲形定規のソフトのパソコンで設計したのではないか?』という風に見えることが大きいだろう。
自転車もホームセンターAの自転車と夕陽サイクルのものとDAY通のものは見分けがつかない。つまり、そうしたものを安く作る供給地は安泰で、それを買うだけ、輸入するだけのところは、消費奴隷になるということだ。
それを輸入するための外貨はどこから持ってくるのか?
高級な果物や野菜、米を作って輸出して外貨を稼ぎ、自分たちは一日置くと蝋細工のようになる安い輸入の米を食べるのか?
ちょうど今週、床屋で、あるお茶の会社が、お茶が売れなくて潰れそうだという話を聞いた。その理由は、『若い人たちが自分でお茶を淹れなくなっていて、緑茶というのはペットボトルからでてくるものだ』と思っているからだという話が出た。調査をして見ると茶筒と急須を持っていない若者がすごく多いのだと言う。
私はペットボトルの緑茶は、あの味は緑茶に感じない。なんだか妙にヌルヌルして別のものの感じがする。最新の科学的調査によると、ペットボトルの中にはけっこうたくさんのプラスチックの微粒子が含まれているという。それは当然、環境ホルモンとして体内で働くと考えられるが、まだ、そのあたりの調査はまったくされおらず、着目されたばかりだと言う。
『そんなことはものづくりと関係ない』というかもしれないが、そうでもない。『急須も持たない生活』は凝った食器を持たない生活を意味する。ペットボトルと冷蔵庫、レトルト食品のパックと鍋。米すらも炊かず、チンする御飯。
そういう中から世界を唸らせる美的な食器のデザインが出てくるはずがない。
事実、陶磁器の産業はどこも苦しいようで、日本の空港で日本の伝統食器を使っている店が、じつは外国資本だと言うのを経済ニュースで読んだ。斜陽化して、海外勢力に支配される。
自転車をハンドビルトしようとして、ラグを発注するのに、ラグとフレームチューブの隙間の精度はどのくらいにしたら、もっともよくロウがまわり、強度が出るのか?そういうことはインターネットで検索しても出てこないだろう。またそういうことをすべて教え、国の産業基盤を売った者たちがいる。
北斎の色調で何か作ろうとか、伝統的な染色技術でなにか海外の会社が真似のできないモダンなものを伝統技法で作ろうと、古文書を調べても、漢字も江戸時代のひらがなも読めない(爆)。英会話は出来る(笑)。何が話せますか?アメリカの最新映画の話(笑)。
ルーブル美術館のマドレーヌ・ウール氏は油絵の保存のむずかしさを書いているが、日本画は油絵よりじつは長持ちする。しかし、その日本画に使うにかわのよいものがもはや手に入らなくなってきている。
最近、カセット・テープが見直され、カセットを同時発売する音楽家も現れているが、もはやラジカセをつくるのがきわめて難しくなっており、オートリバースなども製造者が絶無で付けられないのだと言う。
そうしたら、充電用電池であるとか基盤を作る希少金属は隣国に豊富で、カメラのレンズを作るのに欠かせない硅石も隣国にある。ジェットエンジンを作るのに欠かせない希少金属も隣国とアフリカの一部にしかない。
まあ、そういう状況で、ブラックに働き、どこかの途上国でブラックな感じに作られた服でも着て、途上国のこどもに作らせたボールを使って遊び、明日を患わずに生きるのだろうか?
私ももうしばらくは、努力を続けるつもりだが、あとのことは自分たちでやってくれという感じだ。それはMy troubleではない。