Quantcast
Channel: 英国式自転車生活
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

国の伝統気質

$
0
0
昨日youtubeできわめて面白いBBCの番組をみました。それは1913年に行われたロールス・ロイスのアルパイン・ラリーを80年ぶりに再現するという番組でした。

youtubeでold Top Gear Rolls Royce Alpine Tour 1993で出ます。

これはロールス・ロイス社がシルバー・ゴーストなどをつらねて、ウイーンからザルッブルグから東欧をまわり、世界一きついスイッチバックの山岳道路を登り、イタリアをかすめ、ふたたびウイーンへ戻るというもので、当時はエンジンルームもラジエーターキャップもすべて封印がされ、途中で修理したり、水を足せないようにされて行われました。1台づつ、ズルをしないようにオーストリアの兵士が一人監視に乗り込んだ。

この時の、当時のほかの自動車の及びもつかないロールス・ロイスの孤高の信頼性が、オーストリア、及びヨーロッパでのロールス・ロイスの評価を決定的にしたのです。

「なぜ英国のロールス・ロイスがオーストリアで、ウイーンから出発したのか?」それは、当時のライバルであるダイムラー(のちにダイムラー・ベンツ)に対する挑戦であったわけです。「やれるものならやってみろ」という自信だったのでしょう。

それが80年経っても、いまだに出来る、というところがロールス・ロイスの面目躍如というところでしょう。面白いことに、参加者につぎからつぎへシルヴァーゴーストや初期のファンタムの価格をテレビ・クルーが聞いていましたが、誰一人として答えない。

「すべてのそうした価格というのは下品である」ということ「これほどの歴史的な車輌は価格で売買はできない」ということでしょう。創業者、フレデリック・ヘンリー・ロイスの「価格が忘れられたあともクオリティーは残る」という言葉の意味がいまだに継承されている。

司会者は「現代の車が80年後に、これほど大切にされ、なんとしても欲しいと思う人がいて、しかも動いているでしょうか?」と言っていましたが、そう思います。スタビライザーから、変速から、エンジンからすべてコンピューター制御の現代の自動車では、それらのマイクロチップが寿命が来たとき、それで全体が終了する。とても同じものは手に入らない。今から50年後フォードの電子部品でマイバッハは動かないでしょう。

これはyoutubeの別の番組を見ていて言っていましたが、いかにそうしたロールス・ロイスやベントレーのブランド名をドイツが買い取って、アウトバーンの真っ直ぐな道をより速く走れるようになったとしても、自動車に関する根底の思想と文化がまったく違うのだ、それはヒットラーが言ったように『ヴォルクス(人民のための)ワーゲン(自動車)』なのです、と言っていたのは面白い。これはドイツの自動車が、本質的に「強い個性の人が、自己の夢を実現するために一台の自動車をつくる」のではなく、「グループがマスパブリックのためにつくる」ということなのかもしれません。

ベントレーのウィリアム・オーウェン・ベントレー、ジャギュアのウイリアム・ライオンズ、ロータスのコリン・チャップマン、ほかにもロード・ナッフィールド、からボブ・ジャンケル、クーパーまで、英国にはそういう人たちが数限りなくいる。これはイタリアでも同じだと思います。大エンツオ、フルッチオ・ランボルギーニ、ピニンファリーナ、ザガート、カルロ・アバルト。

しかし、アウディの創業者は?マイバッハの創業者は?ヴォルクス・ワーゲンの創業者は?DKWの創業者は?NSUの創業者は?BMWの創業者は?と言われると、ほとんどの人が思いつかないでしょう。ドイツではほとんどがフェルディナント・ポルシェの設計に行き着く。しかし、彼はドイツでなくオーストリアの人ではなかったのか?

機械に関しては、私は「ある意味素人受けするものが成功をおさめ、エンジニアの夢というようなものは、悲惨な不遇に終る」という意見をもっています。「もっともある意味普通で、面白みがなく標準的で、壊れない、不具合が起こらない、消去法で出来上がったもの」が経済的成功をおさめる。

これはあのハイドロニューマチック・サスペンションにフロントドライブを世に問うて、デビューし、世界を驚かしつつも経済的にゆきづまったシトローエンを考えてみるとわかるでしょう。これはロールス・ロイスに吸収される前のベントレーも同じ、幾度となく破産と買収を繰り返されてブランドが存続したアストン・マーティンも同じ。一方のドイツはヒットラーのもと、国のたいへんな援助がありましたから。

どこかにすべての伝統と国民性はあらわれると思います。

意外なことに、ドイツの戦後の経済立て直しのとき、フェルデイナント・ポルシェのビートルを売るようにドイツに薦めたのは、英国人だったそうです。あのカブトムシの価値を最初に見出したのは英国人でした。彼ら自身、DKWの小型モーターサイクルのエンジンをBSAでバンタムとして作らせた。

これはもう、私の嗜好の問題なのですが、ドイツと言うのは、どこか、日本と共通項がある気がするのです。それはきわめて「グループ主義的」というか「全体主義的」な部分で、これはイタリアやフランス、英国では感じたことがないのです。ドイツの場合、きわめて「平均的な集団」の顔のない大集団の存在を感じますが、これはイタリア、フランス、英国には少ない気がするのです。

英国の庶民の長屋、テラスト・ハウスのドアは、一枚ずつ、すべてが別の色で塗られているのが普通ですが、まずドイツでは考えられないでしょう。奇しくも私のドイツの友人に、ベルリンの都市計画にかかわった建築家と、ミュンヘンの建築家がいますが、二人とも「都市の外観の統一」とかいう事が好きです。その2人のうちの一人、クリストフは「市内の花を入れたセメントの鉢のかたちを統一的にする」のに意欲を燃やしていました。こういうのは英国では考えられない。自分の家の外観に合わせた丸い鉄のカゴを地元の鍛冶屋につくってもらい、そこへミズゴケを入れて、思い思いの花を育てます。英国ではそうやって「人間の作った鉢が見えないようにする」。

たぶんこういう姿勢は他の機械製品にも言えるのではないか?

正直なところ、私は過去100年間にドイツで作られた自転車で、これはいいと思ったものはひとつもありません。これは美しいと思ったものもない。ドイツの自動車も好きではありません。自分で買うことは死ぬまでないと断言できます。

これはアルブレヒト・デューラーが「自分の技術を見せびらかすために緻密に描いたものを持ち歩いていた」事実と呼応するような気がします。デューラーをイタリアのレオナルド、ラファエロ、ボッティチェッリ、などの上に置こうとは、私はさらさら思わない。良い絵であることは認めますが、イタリア・ルネッサンスの絵画を見たあとでは、デューラーの絵はまったくつまらない。この「緻密に描く」というのが、機械では「壊れない、精度が高い、速い」とかに対応するのではないか?デューラーは自信満々で、イタリアにも自分ほどの画家はいない、と言っていたらしい。しかし技術という抽象的な概念のみで絵画ははかれない。色とその底知れぬ神秘感でレオナルドには遠く及ばない、その地上的なものを超越した、天上界的な清澄感でラファエロには多く及ばない、ボッティチェリの優雅な線と気品のある顔立ち、ギリシャ以来の地中海的な明晰さ、すべての点でイタリアのわかりやすいよさにかなわない。技術は表現するためにある。DULLなものを表現するのに技術ばかりが緻密なものほどつまらないものはありません。

2年前、イタリア在住で乗り物のデザインをしている日本人の方と、国立で食事をして、そのあたりの話をしたのですが、彼もやはりイタリアから見て、ドイツや日本のものには、その背景に漂うものがちがう違和感を感じているようでした。

上のyoutubeの番組では途中の宿泊場所では舞踏会をやり、オーストリアの山の豪雨のなかでも幌をあげなかったりする(あげられない)人もいました。その初期のシルバーゴーストがじつによく自然の中に溶け込んでいました。自動車と自然がうまく共存できていた時代の機械というのが滲み出ている。

こういうクルマは現代に至るまで、ドイツは作れていないように思います。現代のドイツ車も、ヒットラーの考えたアウトバーンを疾走する「個人移動手段」の延長線上から1歩もでていないように思える。

しかし、ベンツのSSKが自然のなかでピクニックをしているような写真を、私は過去半世紀近くで一枚も見たことがないのです。私はこのあたりにも、英国とドイツの、機械に対する思想の違いを根強く感じるのです。

英国はシルバーゴースト、Eタイプ・ジャギュアから、MG、ベントレー、タービンエンジンのローヴァーからブラフ・スューぺりァ、ハリアーからコンコルドまで残して弱体化したわけですが、さて、日本から製造業が国外へ出て、空洞化して、やがては日本の自動車産業が中国の自動車企業に買収されるような事態になったとき、日本の自転車産業が「中国・台湾製の輸入商社」になるような日が来たとき、何が残り、何を残すのでしょう?

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3751

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>