たとえば、日本でフレームを作って、イタリア部品でかためたら、イタリア車になるのか?なりません。
フレームこそが「自転車そのもの」なのです。
ではフレームとは何か?と言えば、「背後に自転車のライディング・ポジションを決め、部品をあるべき位置に付けるもの」と言えるだろうと思います。
フレームこそが「自転車の設計の骨組み」と言ってよい。
フレームの次にくるのは?乗車姿勢を決めるステムとハンドルでしょう。そしてサドル。そこまでが決まったらタイヤ。
あと回転部品やブレーキ、変速器、泥よけ、ランプなどはアフターマーケットのパーツでいかようにも交換が可能。それが1980年代半ばまでの自転車でした。フレームそのものは20年でも30年でも40年でも乗れる。自転車は80年間以上そういうものでした。
うちの28号でも、カンパのCレコを付けているひともいれば、古いヌーヴォを付けている人もいる。1968年ごろの井上のハブを付けている人もいれば、マキシカーのユニットベアリング・ハブや私のオリジナルのもののように三信松本のハブもある、現行品のスズエのユニットベアリング・ハブもある。しかし、乗り味はすべて同じです。28号の乗り味になる。
ゼウスのハブだろうが、シュパーブのハブだろうが、カンパのハブだろうが、マイヤールのハブだろうが、ミルレモのハブだろうが、アトムのハブだろうが、ブラントンのハブだろうが問題なく入ります。これらはエンド巾が126mmで出来ているから。
これが120mmだとけっこう苦しいのです。たとえばフロントにカンパのクランクやTAのプロフェッショナル・リングをつけてチェンライン43.5mmになると、もう泥よけの留め金具はまったく余裕がない。小さいエンドに、ツーリング仕様でトップが15Tとか16Tだと、シートステーの内側にチェンが擦ったりする。最近のレトロなハブがどうして126mmにせず、120mmと130mmにしたのか?私にはよくわかりません。
「これをフレームのエンド巾130mmとか135mmとかで作れば?」という議論があります。そうすると、過去のあらゆる部品は使えなくなります。変速器はストロークが合わない。ハブの軸長やクイックシャフトも長さが足りなくなる。
私の車輌にはカンパニョーロのユークリッドの、もとは130mmのハブが使われていますが、これは126mmになおして何の問題もなく使っています。2mmのワッシャーを左右から一枚づつ抜くだけ。
130mmにすると、古い変速器は選択肢からはずれます。現代のものを使うようになる。現代の変速器を使うとなると、「フレームのチェンステーの長さが変速器メーカーによって指定されています」。それにあわせるとなると自転車の乗り味が変わる。
現代の変速器はレバーも同じメーカーに合わせなくてはならない。スラムの変速器をシマノのレバーで動かすことはできません。ブレーキレバーとブレーキの力率は違うので、これも合わせないといけない。フリーホイールも合わせる必要がある。
私のオリジナルの28号はサンツアーのリア変速器にカンパのフロント変速器、レバーはシマノ、ハブはサンツアー。これで何の問題もありません。新28号はカンパのリア変速器にベネルックスのフロント変速器、レバーはユーレー。これで実に調子が良い。
仲間によってはすべてユーレーにしたり、すべてサンツアーにしたり。すべてカンパにしたり。サンプレックスを混ぜたり。これはその人の好みの味付けにできる。
私はこの「自由度」が長いこと自転車の「自分の一台」になるための重要な「自由度」であったと思うのです。それがここ20年でかなりおびやかされている。
変速器から駆動系を全世界的に支配すれば、自転車全体をコントロールできるという思想と言ってよい。
ハブを支配し、リムを支配する、そうして完組みホイールが工場から出てゆくだけにする体制を作り上げれば、ショップの者が「手組みホイール」で反旗を翻すおそれはやがてはなくなる。メーカーが出すカタログを丸暗記するだけの、ホイールも組めない販売要員しかいなくなる。そういう人たちが将来独立しようとしても、工場直営の発送所から取り寄せて売る販売要員になるしかありません。
これはすごい「国盗り物語」だな、と思います。
そういう傾向にくわえて、大規模店の大量輸入安売り攻勢に町の自転車店は悲鳴をあげている。廃業する店はものすごく多い。
うちの近くでも3軒が8月いっぱいで廃業します。
うちはそういうところへ行って、役に立つ小さい部品をわけてもらったりします。私もいつも在庫しているわけではありませんが、ベルなどでも、できれば「自転車が高価で作りが良かった時代のもの」をあれば買い置いて、そういうものを、たまにでもサービスで付けたいと思います。
その「魂のフレーム」も多くは外国の限られたフレームメーカーからくるものが多い。自転車の個性はなくなり、変速器のグレードしかなくなる。
私は自転車から作り手の情熱や個性や熱というべきものが薄まってきているように思えてなりません。
じつはハブをキャンピング車などではクイックでなくナット式にしたい場合があります。リアキャリアをハブ軸で受けないともたないことがありますから。しかし、ナット式のハブの良質なものも絶滅危惧種でしょう。
そういうちょっとしたものが足りなくて、一台まとまらない時代になってきたようです。
今日は夕方から、そうしたお店のひとつに、部品をわけてもらいにゆきました。ご主人が私好みのものを箱にいれて待っていてくれましたが、話の途中で、「ちょっときて、貴方ならあれが役に立つかもしれない」などとホコリを被った油に漬かった部品の山を二人でがさごそ。
5時間ばかり格闘しておりました。
わかれぎわ、
「もう使わないから、うちにある工具で欲しいのがあれば譲るよ。」
と言われ、また工具をいくつかお願いしました。話は尽きません。
最後にご主人、クッキーの箱をあけて、
「これは俺の宝物なんだが、わかる人が持っていたほうがいい。2つあるからな。もう一個はどうするか決めていないが、棺おけの中にいれてもらうか、どっかへ寄贈するか。2つのうち1個は持って行っていいですよ。」
我が眼を疑いました。幻の変速器プロキオンではありませんか。しかも取り説付き箱入りというのは、生まれて始めてみました。すごい。感激です。私の40年を越える自転車人生で、カンパニョーロのオリジナル・グランスポール、通称「御神体」から、世界最初のクイックレリーズのスキュワーの頭まで手に入れましたが、なぜかプロキオンだけは縁がありませんでした。
「俺はK社長に会ったことがあるけれど、『この商標は誰にも渡さない。墓の向こうまで持って行く』っていっていたね。だからこのマークも名前も、いまだに誰もつかっていないでしょ。」
さすがは1960年代にオール・チタンのボディのハブまで試作した会社だけのことはあります。
ある意味、名車、名品の歴史というのは、そうした一徹者が商売人に負け破滅してきた歴史でもあります。その夢の欠片には、強烈に人を感動させる「魂」がある。
中原中也のようにいうならば、
駐輪場にあるものは、あれは自転車ではないのです。
駐輪場にあるものは、あれはゴムサンダルばかり。