昨晩のニュースで、意見公聴取会に電力会社の関係者がけっこうな割合で入っており、会場が騒然となる場面が放映されていました。「やらせじゃないか!」と怒号が飛び交う。
事故終息宣言をした細野大臣が、あの大きいガタイで「JAPANESE SMILE」で乗り切ろうとしていました。あの雰囲気と状況で笑いを浮かべるのはまずい。欧米諸国でも、中東からインドでも、「なんだこいつは?論理的に、理路整然と反論できないと苦し紛れの笑いか?よくわからない人間だ」と思われるでしょう。「まずとりあえずは笑ってごまかそうとするJAPANESE SMILE」は海外向けにはまずいでしょう。
その番組のなかで、電力会社の社員が「今回の原発事故放射能汚染で死んだ人はいまだ一人もいない」と力みかえって喋っており、なんだか「原子力と言う宗教に取り憑かれたかのような印象を受けた」のでした。
テレビにも映ったその電力会社の社員の人と、終息宣言をした細野大臣には、ぜひとも「中東のCBSニュースと言われる、不偏不党中立を謳う アルジャジーラ」でどういうニュースが流されているかご覧いただきたい。そこには原発事故後、髪が抜け、歯が抜け、皮膚中奇妙な斑点がでる症状の南相馬の女性がでてきます。ニュースは低線量被曝の問題を語ります。それらが長期的にこどもたちにどういう影響を与えるのか?疑問を投げかけます。NHKはなぜかこういうことはレポートしない。原発事故などなかったかのようにのどかな感じでやっている。
アメリカのニュースでも、今、アメリカにある使用済み核燃料のプールの将来的問題が危惧されていることがニュースで流されていました。それによると、再度の地震で福島の4号機の燃料プールの床が抜ける、傾く、などの理由により、冷却が不十分になれば、そこから出る放射性物質はチェルノブイリからのときの85倍になり、「Global disaster」地球規模の大災害になる、とアメリカエネルギー省の専門家が話していました。
そういうなかで、再開?比率は今までどおり?増やす?この地震大国日本で?
坂本龍一さんが集会で「たかが電気」と言っていたのは至言です。そんなもののために子々孫々の代までこの国の一部の土地を住めなくする可能性を増やす必要はない。
原発の危険は地震だけではありません。津波もあれば、アメリカのように竜巻による危険もある。さらに最近NASAや京都大学の研究で言われているように、数百年、数千年に一度の太陽活動のメガフレアによる、送電設備、通信設備の壊滅,コンピューターの誤作動の危険性もあります。実際にカナダでは西暦2000年以降にも、ほんの小さいフレアで大停電が起きています。そういうなかで原発の安全をどうやって保つつもりなのか?
1980年代、英国では夜10時半~11時でパブもすべて閉店していました。店屋なども開いていなかった。それがいまや、日本では24時間、目が痛いくらい電気をつけて空調をきかせている。工場の稼働時間を夜と昼、週末と平日に、会社ごとにうまく分散して、一度に電力消費量を増やさないようにすればいい。工夫すればいくらでも解決できるはなしです。
「電力を売る商売」として、その分野での消費を増やそうと、電力消費の多い「オール電化」のCMを電力会社はさかんに流していた。「消費を増やそう」という利潤追及が見えましたが、資源がある中東諸国でもインドなどでも、電力会社がそういう活動をしているのは見たことがありません。ヨーロッパでも恒常的に「節電」は言われていましたが、日本のような無資源国ではめずらしい。そのあげく、その電力消費者の知らないところでどんどん原発を増やし、事故を起こせば居直る。
原子力発電は、日本のものも、多くアメリカの技術が入っていますが、それらの会社は軍需産業の会社でもある。
さらにいえば、「劣化ウラン」は原子力発電から生まれて中東などの戦争で、劣化ウラン弾として大量使用されました。それによるこどもたちなどへの健康被害ははかりしれません。中東の人たちには「ああいう末代まで土地を放射能で汚染するものをばら撒いて、我々の遺伝子をいためつけ、中東の人間が種として絶滅するのを待って、石油を奪うつもりなのではないか?」という人たちが多い。
原子力の利用を監視する国際団体の多くも、「核兵器を持つのを監視する」のが役目で、別に原子力発電の安全などを監視するのが役目ではありません。それを日本人の多くは混同している。かように原子力発電と核兵器は裏表の産業なのです。
映画「続、猿の惑星」に核弾頭のミサイルを祭壇に置いて宗教のように礼拝する人たちが出てきましたが、原子力礼賛への辛辣な批判として、あれはインパクトのあるイメージだった。どこかの島には「こうねりあす」みたいな人たちもいますが。
毎週金曜日は、首相官邸のまわりに原発反対のメッセージを伝えるデモが恒例で行われているようです。金曜日は野田首相は「カレーの日」だそうです。そのカレーが苦くなるようにもっと参加者が増えると良いと思う。
代々木公園で、ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏が原発反対のスピーチをしていましたが、NHKが大きく取り上げたことはなかった。海外ではそういう時のノーベル賞作家の言動をニュースが伝えないなどとは考えられない。
まあ、ニュースデスクの向こう側に座っている美人キャスターが、原発事故前は「オール電化のCM」に出ていて、大震災のあと、東北の工場が最もたいへんだった時、「中国からの貨物の直行便のCM」に出て、この際、供給先を中国へ、と言わんばかりでしたから、日本のニュースなどそのレベルなのかもしれません。
さて、我々自転車関係者はどうすべきなのか。
自転車を使っている人、乗っている人たちは東北にも多いはずですが、自転車雑誌で「マスクをしよう」とか、放射性物質を家へ持ち込まないために、タイヤとか泥よけをどうしよう、とか、外出から戻ったら髪の毛をシャワーでながそうとか、放射性物質を肺へ深く吸い込んだ時どうなるのか?などの特集記事がでたことはついになかった。
本来、もっとも無防備なのが、我々自転車生活者なのではないか?
なんでも金曜日のデモは、参加者が増えるのを防ぐため、地下鉄の駅で降りた人たちを足止めしたらしい。
ならば自転車で行けばよい。どこかの団体に所属していると思われたくない人、あのシュプレヒコールが嫌な人は、自転車のバッグに、あるいはフレームに「原発はいりません」とか「放射性物質吸い込まされたオレの肺どうしてくれる?」でもいいです。なにか一言メッセージを書いて、都内を走ったらよい。そういう人たちが「首相官邸はどうなっているのか?」と自転車でのぞきにいったらよいのです。
そういう人たちが自然発生的に自転車で集まるのを「クリチカル・マス」(批判的集団)と言います。これはデモと同等の効果がある。
アメリカでは有名で、私の友人のバークレイのイアン・バウル教授は大学でクリチカル・マスの社会学的研究をしています。彼などは、興味津々になるかもしれない。
まずは、私は今度の金曜日は、何週間ぶりかの全日休養の日として、自転車で首相官邸のあたりの写真を撮りに行きたいと思います。
原発もフリーズしたい。