さて、さらにその雑誌記事を読み進むと、さらにおかしいことが書いてある。『外装変速器はフランスから大量に輸入されていた。フランス製であっても、実は工業技術力の高い英国で生産された逆輸入品もあったのだ。たとえば、フランスのオスギアは、英国のコンストリクターで、大部分の製品が生産されていた』とありますが、前代未聞の珍説です。
英国の自転車に外装変速器が付けられる場合、そのほとんどがバーミンガム・サイクロのヘリコイド式変速器で、あとは『スーパーチャンピオン式のサイクロ・エース』で、これはオスギア―とほぼ同じ構造をしていた。私は両方使ったことがありますが、『出来』はサイクロ・エースの方がはるかによい。コンストリクターも同様のものを製造しましたが、この著者の言うこととはまるで逆で、
『コンストリクターには設計やデザインのアイデアはあったが、コンストリクターの独創性を怖れて、英国内ではコンストリクターのために部品を製造してくれる工場がみつかりませんでした。そこで、コンストリクターは、多くの部品をフランスに製造を依頼していた。
そのそも、コンストリクター社とは、タイヤとリムのメーカーです。そこから総合レース部品メーカーを目指したのだが、周囲に押しつぶされて、英国内で下請けが見つからず、その製造依頼とともにデザインもフランスへ流れたというのが実態です。
英国の相当なマニアでも、コンストリクターが変速器を作ったことは知りません。まずマニアのコレクションでも見ることが出来ない。それほどコンストリクターは売れなかった。コンストリクターで特筆すべきは、彼らは『世界最初のアルミ合金製パラレログラム式変速器を作ったこと』です。
この著者の最初の原稿が送りつけられてきた時、『トライヴェロックスの外装変速器は内装ハブと組み合わされていた』とあったので、その話が間違っているということはチラッと言いました。そこは削ってありましたが、このトライヴェロックスは、きわめて変速器の歴史の中で重要なのです。
トライヴェロックスには優秀なエンジニアがいたらしく、サイクロの『振り子式のテンションをとるシステムはジョッキー・プーリーとフリーのコグの歯先間隔の管理に具合が悪い』と言うことに気がついていた。そこで、トライヴェロックスは『3角てんびん式』のテンション・システムを実用化していた。カンパニョーロが鉄レコードで3角てんびん式を取り入れることに先立つこと、ほぼ30年です。
このトライヴェロックスは日本の変速器に多大な影響を与えている。それは日本で最初に造られた外装変速器、富士のスピードXはこのトライヴェロックスに多くを学んで、トライヴェロックスとバーミンガム・サイクロを足して2で割ったような形状をしていることです。名前も『スピードX』と『トライヴェロックス』で影響がほのみえる。
このトライヴェロックスには、もうひとつ重要な発明があった。それは、『チェンを一切ひねらずに外装変速する』というシステムでした。リアのギアの側がスプライン上をスライドするのです。執筆者は現物を使うこともなく、手に取ってみることもなく、実際のカタログを手に取ることもなく記事を書いたのだろう。
それと、この雑誌の変速器の記事には、もっと致命的な、自転車の基本的な歴史に対する無知が含まれている。『フランス本国ではダブルケーブルのヘリコイドシャフト式変速器の人気は根強かった。しかし、レースで販売を伸ばすサンプレックスやユーレーの相手ではない。そこで1931年からシクロもレース用変速機のウィットミーを発売した。、、、』
私はここを読んで天を仰いだ(笑)。1931年!?。その時代、あのツール・ド・フランスでも変速器の使用は禁止されていました。ツールで変速器が解禁されたのは1937年のことだ。また、ユーレーが最初の変速器を製作したのは、特許出願文書が残っている1932年と云うのが、世界の自転車歴史研究家のほぼ一致した見方だ。フランコ・ベルトのおやじさんは1930年が最初だと書いていますが、現物、および文献資料でそれが確認できた人はいません。だから、『1931年からシクロもレース用変速器ウィットミーを発売』というのは、おかしいのだ。写真をアップしますが、ウィットミーには『ツーリングに最適』と書いてある。つまりダブルコグのようにホイールを外して裏返す手間がない、ということだったのです。しかし使い心地でスターメーの固定の2速に遠く及ばなかった。
それがわかっていたら、このような記事は恥ずかしくて書けないだろうと思う。私は致命的な誤りを指摘することなく3行読めないような、こういう記事をみとめない。これは多くの読者を誤った理解へと導く。『雑誌に書いてあることを、そのまま信用してはいけない』のです。まだ、書きたいことがあるので、この話まだ続けます。