先週、医師と話して、試験的に、母の点滴を週の半分だけにするという方法に切り替えました。私の観察では、経口で充分に水分も栄養も摂れているようにみえる、というのがその理由です。また、点滴の分が余分だとむくみがでるのですが、ややむくみがでている。
看護師の人たちも、『この年齢で点滴がとれるというのは前代未聞で、だいたい80歳代から90歳代ではじめると、そのまま最後まで点滴のお世話になるのがほとんど』だという。
うちはうまくいった。とろみ飲料は平気な濃さとゆるすぎるのとのギリギリ。またとろみ剤はけっこうナトリウムなどが多いので内臓への負担が多い。毎日、かんてんの麦茶とミルクティーのかんてんをつくり、それを水の替わりにしていた。あとは、この季節、スープなどにとろみをつけるのに冬瓜の中身などを使って、とろみ剤なしで切り抜けた。すべて繊維ですから便秘もない。
高齢者のほぼ寝たきりの人にとって、便秘は命取りになる。
水気は寒天などの繊維質とともに摂る。さらに毎朝水がわりは、以前にも書いたスムージーにヨーグルトが入っている。さらに『みじん切りの納豆をお粥に混ぜる』時もある。この3つで腸内環境は絶好調になります。便秘気味の人は、『風船がいびつにふくらむように、腸に溜まるふくらみが出来たりする』ので、高齢になって出なくて困るようになる前に、若いうちから便秘をしない食生活が必要だろう。
周囲は手間がかかる。私も1日、最低でも4時間は買い物、食事の世話などにとられる。しかし、これは植木と同じで、やめたら木は枯れてしまいますから。人間も同じだ。
先週、看護師の人と話していて、ぜひうちの食事の作り方などを教えて欲しいというので、またお教えした。なんでも『もう老衰だから、しかたがない』と言われている人がいて、しかし、本人はまだ頭脳明晰で食べたいのに食べられないのだという。それは『老衰で片づけてしまう』のは惜しい。私は意識がはっきりしていて、生きる意欲、食べる意欲がある人は大丈夫だと思う。
友人の父親は、病状が重く、もう食事の味がわからず、食べることが楽しめなくなって、食が細くなって、消え入るようにNAKUなられた。そういう場合は、周囲や家族もほとんどできることがない。
日曜日の夜、帰って来る時、荷物があったのでタクシーに乗った。運転手さんに『1年早いね。もう来週の半ばから12月だからね。』と言ったところ、運転手さんが『これで1年すぐ。10年もすぐ。自分は後20年かな?と思っているんですが、こんな様子ではすぐお迎えですよ。その20年が果たして満足が行くものになるのかどうか?自分には怪しいですね。』と妙にシリアスな答えがかえってきた。
『そうだね。最後の5年間、自分で動けないかもしれないし、そうなったら、一日に出来ることも限られるから、もっと早く感じるんだろうね。』
と2人で妙にしみじみとした(笑)。
その運転手さんは58~60歳ぐらいだった。だいたい78~80を狙っているらしい(笑)。別の人にとっては55歳で75ぐらいを狙い、短命な家系では38歳で、20年で58歳。実際、自分でずっとそう言っていて58歳で脳溢血をやったのがいる。彼のところは父親も祖父も代々血圧が高い。
この20年余命説、けっこういいとこついているかもしれない(笑)。
なんで読んだのか忘れましたが、日本では昔は(平安時代だったか?室町時代だったか?)50歳の時には長寿の祝いをしたというのを読んだ記憶がある。
『人生100年時代』とか、何を寝ぼけているのかな?と思う。昔、ある高名な画家が100歳で富士山の絵を描くというドキュメンタリーをやっていた。家族の思いやりでなんとか最後の最後まで絵を描かせてあげたいということで、それは美しい話なのだが、本人はもう、あまり何をしているかわかっていない様子だった。『どこから富士を描きたいですか?』と写真集を見せたら、『もう、ここまで登って来たんだからたいしたもんだ』と登った気になっていた(笑)。ほほえましいいのですが、これは100歳までは自分一人では生きられない。いや、90歳でも、場合によっては80歳でも、70歳でも一人で生きられないかもしれない。
さて、そう考えると、再び、締めくくりの20年と云うのがあなどれない重さを持って迫って来る。早い時期に考える機会を得た人はそれだけで幸福だろう。
看護師の人たちも、『この年齢で点滴がとれるというのは前代未聞で、だいたい80歳代から90歳代ではじめると、そのまま最後まで点滴のお世話になるのがほとんど』だという。
うちはうまくいった。とろみ飲料は平気な濃さとゆるすぎるのとのギリギリ。またとろみ剤はけっこうナトリウムなどが多いので内臓への負担が多い。毎日、かんてんの麦茶とミルクティーのかんてんをつくり、それを水の替わりにしていた。あとは、この季節、スープなどにとろみをつけるのに冬瓜の中身などを使って、とろみ剤なしで切り抜けた。すべて繊維ですから便秘もない。
高齢者のほぼ寝たきりの人にとって、便秘は命取りになる。
水気は寒天などの繊維質とともに摂る。さらに毎朝水がわりは、以前にも書いたスムージーにヨーグルトが入っている。さらに『みじん切りの納豆をお粥に混ぜる』時もある。この3つで腸内環境は絶好調になります。便秘気味の人は、『風船がいびつにふくらむように、腸に溜まるふくらみが出来たりする』ので、高齢になって出なくて困るようになる前に、若いうちから便秘をしない食生活が必要だろう。
周囲は手間がかかる。私も1日、最低でも4時間は買い物、食事の世話などにとられる。しかし、これは植木と同じで、やめたら木は枯れてしまいますから。人間も同じだ。
先週、看護師の人と話していて、ぜひうちの食事の作り方などを教えて欲しいというので、またお教えした。なんでも『もう老衰だから、しかたがない』と言われている人がいて、しかし、本人はまだ頭脳明晰で食べたいのに食べられないのだという。それは『老衰で片づけてしまう』のは惜しい。私は意識がはっきりしていて、生きる意欲、食べる意欲がある人は大丈夫だと思う。
友人の父親は、病状が重く、もう食事の味がわからず、食べることが楽しめなくなって、食が細くなって、消え入るようにNAKUなられた。そういう場合は、周囲や家族もほとんどできることがない。
日曜日の夜、帰って来る時、荷物があったのでタクシーに乗った。運転手さんに『1年早いね。もう来週の半ばから12月だからね。』と言ったところ、運転手さんが『これで1年すぐ。10年もすぐ。自分は後20年かな?と思っているんですが、こんな様子ではすぐお迎えですよ。その20年が果たして満足が行くものになるのかどうか?自分には怪しいですね。』と妙にシリアスな答えがかえってきた。
『そうだね。最後の5年間、自分で動けないかもしれないし、そうなったら、一日に出来ることも限られるから、もっと早く感じるんだろうね。』
と2人で妙にしみじみとした(笑)。
その運転手さんは58~60歳ぐらいだった。だいたい78~80を狙っているらしい(笑)。別の人にとっては55歳で75ぐらいを狙い、短命な家系では38歳で、20年で58歳。実際、自分でずっとそう言っていて58歳で脳溢血をやったのがいる。彼のところは父親も祖父も代々血圧が高い。
この20年余命説、けっこういいとこついているかもしれない(笑)。
なんで読んだのか忘れましたが、日本では昔は(平安時代だったか?室町時代だったか?)50歳の時には長寿の祝いをしたというのを読んだ記憶がある。
『人生100年時代』とか、何を寝ぼけているのかな?と思う。昔、ある高名な画家が100歳で富士山の絵を描くというドキュメンタリーをやっていた。家族の思いやりでなんとか最後の最後まで絵を描かせてあげたいということで、それは美しい話なのだが、本人はもう、あまり何をしているかわかっていない様子だった。『どこから富士を描きたいですか?』と写真集を見せたら、『もう、ここまで登って来たんだからたいしたもんだ』と登った気になっていた(笑)。ほほえましいいのですが、これは100歳までは自分一人では生きられない。いや、90歳でも、場合によっては80歳でも、70歳でも一人で生きられないかもしれない。
さて、そう考えると、再び、締めくくりの20年と云うのがあなどれない重さを持って迫って来る。早い時期に考える機会を得た人はそれだけで幸福だろう。