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在家と出家

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夕方、食事に入った食堂で、寺の住職が、寺の収入だけでは足りなくて、自動車整備の仕事をしたり、その住職の息子さんが市役所に勤めているというのをテレビで観た。

昼間乗り物の機械をいじっていて、朝にお経をあげ、夜勉強しているならオレと同じだなと思った(笑)。

一方で、私の知っている人で、定年退職後、ひたすら宗教書を読み、毎朝お経を唱え、時間があれば巡礼をしている人がいる。こういう人を見ていると、いまや在家と出家の境界と言うのは限りなく曖昧になっているように思える。

うちの祖母のほうのお寺は住職の不動産投資の失敗で、港区のお寺の地面をすべてとられてしまったのがいる。祖母の苗字を継いだいとこのところへ『OHA-KA団地にしても良いですか?』みたいなことを言ってきて、いとこが切れまくっていた。

またある寺は、教育ママのような母親が寺を牛耳っていて、福翁数十枚を(100人弱か?)を親戚が持って行ったら、息子の坊さんが出てこないで、その母親が受け取って、『受領証は後日郵送します』といって、ついに送ってこなかった。その親戚はその寺と絶縁すると言っている。

昔なら出家の女犯は死罪だ。俗世とのかかわりを放捨するのが出家だが、家族をもち、名刺をもらえば苗字まである。

こうなってくると、『どこの寺を支持するか?』というのは大問題になってくる。

じつは、数年前、戦国武将の信奉していた佛尊の掛け軸が縁あって家に来て、ほどなくして桃山時代~江戸初期の経本が呼び寄せられたように手元に来た。

漢字を見ると、意味は分かるのだが、音読できない。お経本には『漢音』と『呉音』の2通りの読み方があるのだが、そのお経は古くは奈良時代にすでに来ていることがわかっているので、呉音だろうと、ほかのお経とダブっている漢字を探して、照らし合わせ、すべてに振り仮名をつけた。

中に、漢字に意味がなく『音を写しただけの咒』が入っているのが、漢和辞典にも入っていない漢字が含まれていて、調べても、どうしてもわからない。それで私が使ったのはYoutubeでした(笑)。漢音でいまだに読まれている。漢音の部分と呉音の部分をまぜるわけにはゆかない。そこから、インドでの音にたどりついて、正しい発音を探り当てた。

また、その佛尊の背景と教義を詳しく知りたいと思って、大英博物館の資料をインターネットで読み、デリーやコルコタのインドの国立博物館の所蔵の経典と照らし合わせた。こういうとき、語学と言うのは役に立つ。

結果、書き込みのあるノートが一冊出来たのですが、このお経、その佛尊のあるお寺でも、年一回の御開帳の時でも読まれていない。たぶん、手が付けられなかったのだろうと推察する。

そのお経とよく似た『別の版がお寺相手の専門のところ』から出ているのだが、最後の数ページは違うお経から剥ぎ合わせてある。やはり、数百年やっているそれほどの版元でも気がつかないのでしょう。

つまり、『真剣なアマチュアが専門職を追い越してしまう』ことが、ここへきてありうる状況になった。かたや、間違ったお経と剥ぎ合わせたものを持って、読誦することもできず、一方でインドでの正式な発音までたどりついて、毎朝読んでいるアマチュアもいる。

これは調べるうちに、ほかのことでもずいぶんわかることがある。

私はわからないことがあると、インド人やネパール人の友人に訊いて、彼らにググってもらう(笑)。「それは卑怯」という人があるかもしれないが(笑)、これだと核心に迫れる。

護摩というのは、日本では密教系統の行事だが、これはインド、ネパールではいまだにヒンドゥー教徒がやっている。

『家でやるための、小さいガスコンロぐらいのサイズのキットすら通販で売っている』。

油をかけて火勢を強めるのも、マントラ(真言)を唱えるのも同じ。お米や麦などのの穀物を火の中に投げ入れるのも同じ。ネパールでは、壇をつくらず穴を掘ってやるのだという。彼の地では僧侶ではなくとも、信徒であればやってもよいことになっている。だから、通信販売の『護摩行キット』をガレージでやっている様子がYoutubeにアップされていたりします(笑)。

アップした写真は、『知れば知るほど面白い世界』で、インドのシヴァ神に若い女性が祈るシーンをみていたら、まさに日本の万燈会そっくりだった。

さらにインドの本家仏教を見ていると、坐る時の脚の組み方がインド、ネパールではすべて、ことごとく日本とは逆なのです。

私は老母の面倒を見ていて、寝ている間に唾液を誤嚥してしまわないように、横を向いて寝るときにも、注意が必要だというのを知った。人間は心臓が片側に偏ってついており、食道と気道の場所も、右向きと左向きでは、誤嚥のリスクが違う。

お釈迦様の涅槃図もそうした意味で、医学的に理にかなった横になり方なのだが、坐禅の脚の組み方は逆でいいのかな?と思う。私はそれを知ってから、インド流に変えました。

マントラの発音も坐り方も正統でありたい、と私は思う。

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