世界の美術の歴史をひもといてみると、場合によっては300年とか400年とか衰退が続く時期があるのがわかります。『世界美術全集』などの中には、400年~700年間天才不在の時期も珍しくない。
こういうのを英国では『ビザンチン式インモービリティ』とか『ビザンチン式よどみ』とか表現する。
いまちょうどデザインをやっている人たちは『願駄無』の世代だと思いますが、私には、これは一時期のきわめて特殊な『いかつさ好み』であるように見える。
正直、見ていて鬱陶しい。『厭きないのかな?』と思う。
クルマのフロントというのは『動物の顔に見える』というのは昔から言われていた。それを顔っぽくみせないために、ピニンファリーナは一列並びのヘッドライトを半世紀ほど前にやっている。大阪万博のイタリア館にも、その延長線上のものが来ていて私も見に行った。
自転車の場合、『無駄をそぎ落として、軽くして行く、壊れにくくする、シンプルにもってゆく』という、ゴテゴテさせないのが基本にあるので、私などは最近のクローム・メッキべとべとのいかついクルマには非常に大きい抵抗感がある。
『世界中こういうのだけになったら、カブに乗るわ。』と思う(笑)。
どうですかね。経験値がたまり、製造技術がすすみ、性能はあがっているのでしょうが、カッコがあまりに悪いと感じる。
こういう風に見えるのは後期オジサンの私だけですかね??(爆)