私が英国へ行き始めた頃、ずいぶん多くの人に『どうしてあんな斜陽の国へ?行くならアメリカとかドイツじゃないんですか?』とずいぶん言われた。
私はあまりにそういう人が多いので、ひどい国だと覚悟を決めていた。ところがどうして、いまから40年ほど前の、ダイアナ妃登場前の英国はずいぶん住みやすいところだと思った。
英国へ行ってから自分の国を見ると、なんだか『先祖伝来の自然という遺産を切り売りして、目先の経済成長を追いかけているようにみえた』。
多くのヨーロッパの国をみて、どうも住みよさは4つのことに力を入れればある程度は達成できると思った。
1)自然を出来る限りそのままに残し、自然と共に生きられるように保存する。
2)その自然と人間が人工的に作った都市部をうまくモザイクにして、そこへ出来る限り美しい都市計画、建築物を作る。
3)極端に貧しい人がいなくて、治安が良いこと。また、それぞれの収入で、あくせくせず、結婚し、こどもをつくり、世代交代が自然にうまくゆくこと。
4)文化的、思想的なレベルが高く、『経済活動』という食べるためだけのことではない生き甲斐があること。
その当時、インドにはずいぶん極端に貧しい人たちがいた。田園地帯はよかったのだが、都市部のスラムはそれはひどいものだった。ところが、当時、アメリカのDCの貧民街はほとんど日本ではお目にかかることが出来ないくらいひどく、その貧しさはインドと互角以上だったのでびっくりした。
いまだに忘れられないのは、ボルチモアの超一流ホテルに靴磨きがホテルのロビーにいた。その人たちが靴のクリームを、チューブから自分の手のひらに出して、それを客の靴に塗ることだった。そこにいた3人は全員そのやり方でやっていて、ホテルも何も言わないのだから彼の地ではOKなのだろう。
お隣の国では、靴を履いたまま磨かせるのは靴磨きの人に失礼だ、ということで靴を脱いでわたす。
英国だとホテルの廊下にコインを入れるとクリームが落ちてきて、磨き布がドラムで回転するものがあった。
日本はいま1)は危うい。2)も危うい。3)も危うい。4)も危うくなっていないか?
『自然』と漠然と言わずに、河川をみてみよう。いまや、日本の多くの河川が左端のような光景に近づいている。右のような川には、いくら経済が発展しても決してそうはならない。
ならば、経済のパイが大きくなるというのはどういうことなのか?ある意味で制御が不能になってゆくこと。中小企業とか個人事業主の生存が難しくなるということだろう。
そして富めるところはますます富み、貧しいところはますます貧しくなる。今、自動s業界の下請けが、どのくらい値切られ、貧困の底に押し込められているか、私は近くでよく見ている。
あげく、金型であるとかの部品であるとかを納入するとき、コンピューターのデータの一式の納入を求められる。つまり、やがては生産コストの安い国へ『これで作って』とメーカーが渡すためのものを、つまり自分の仕事がまったく来なくなるための材料を作って提出させられるような状態だ。
そういうのは、まっとうな競争ではない。多くの人を踏み台にして、企業そのものが正調を続け、一番上のトップ・レィヤー(紙一枚のごとき層)だけが良い思いをする。
仕事屋スティーヴのおかげで、どれほど多くのレコード屋がつぶれ、ミュージシャンに著作権の金が入らなくなり、音楽で生活するのが難しくなり、世の中の仕事が減ったのか。
成長と、合理化は多くの人を無用にする。AIが入って人の判断も、福利厚生のコストも、退職金も一切省かれて、企業はますます大きくなる。
『成長を望む』人は、『癒されぬ喉の渇きを持って、蜃気楼や逃げ水を追いかけていないか?』
右端の結婚式。30万円ぐらいだったということです。日本ではこういうことも「経済成長の種」になるので、とてもそんな価格ではできない。