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Channel: 英国式自転車生活
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誤った方向性

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昨晩、テレビで自動車が電気自動車化してゆくことの話をやっていました。人のテレビだったので、ぼんやりと聞いていた。

私は終始、『う~~~ん、それはどうかな?』という思い。モーターサイクル市場がいまや日本では『瀕死の惨状』なのに懲りず、似たような道筋をたどっているように見える。

たぶん、これは『上に立つ人のヴイジョン欠如』なのではないかな?と思える。またそのすぐ下の人の世代が、『自分の首が安全ならば』という、目先の利益に振り回されている。

自転車の世界では、円高で北米の子会社が危うくなった時、生産をお隣の国に生産拠点を移し、利幅を増やし、技術の流出を招いた。結果、市場は『安物一色』になり『日本製高級車の市場は、一部のマニアックな部分をのぞいてはほぼ消滅した』。イタリアやドイツにも存在しないくらい古い日本最古の自転車メーカーのブランドは消火器屋になった。

そうかといって、安いものを販売するところもデキはつぶれ、構造不況分野になっている。

家電もそうでしょう。『相手のペースに引き込まれて勝てる』などということは、スポーツでも商売でもありえない。相手のペースをいかに狂わせるか?が勝敗を決める。

過去の自動車メーカーの盛衰をみてみると、だいたい『つぶれる前に超高性能なものを出したり、革新的なものを出して、やがて相手のペースにのまれ斜陽の度合いが強まって消えている』。

ジャギュアもEタイプは最後は12気筒。MG-Bはアメリカの規制のクリアの為、ぶざまな5マイルバンパーをつけて、みっともない姿になって消滅した。ローヴァーはタービン・エンジンのジェット-1を契機に坂を下って行った。

バイクの世界もクロノロジカルに眺めて見れば、300km超級の大型バイクのあたりから、凋落の度合いが激しくなった。一般の人は欲しいと思わないし、むしろ世の中全般からみたら『社会悪』にしか見えない。ヨーロッパ各国で、そうしたバイクのボイコットの意見が相次いだことは日本ではあまり報道されなかった。

HONDAは1960年代に北米でCMを打つ時、キャッチコピーで『HONDAに乗る人はみんな良い人』とやった(爆)。みごとなイメージ戦略だ。いま、なぜか自動車世界では、その真逆をやっているようにみえる。

若い人たちの集まる店へ行くと、ジャック・タチの「僕の伯父さん」の絵葉書がけっこう売っているが、ユロの乗っているベロソレックスのような、ほのぼのとしていて、それでお洒落なものの現代版なら需要はあるだろう。それにはまるモデルがないから、本来はそうしたモデルに行く層が、すべてアシスト・バイクにとられた形になっている。

アシストバイクで行けない、もう少し遠くへ行きたい人のためのカッコ良いモデルがあればよいのだが、日本のメーカーは作ろうとしないし、メーカーのデザイナーに影響力のある人なども、イタリアの大型バイクを改造したりしている。

要するに、『時代精神を読み外している』と私は思う。

ある一部では『レトロ趣味』を持ち込む。それがほんとうのクラシックを知っている人には、ひどくみっともないものに見える。先日、N社の小型自動車のフロントグリルをみたら、樹脂を使って、『わざわざ鉄板のプレスのような感じを出している』。これはひどい誤解だと思う。

1960年代のトヨタのコロナRT40がフロントグリルが鉄板プレスだった時、私は当時、『あそこがチャチいな』と思った。パブリカも初期はそうだった。それがコロナがマーク2になって爆発的にヒットしたとき、グリルから『プレス感』は消えた。同時にRT40の1500の後期型もプレス感が消えて、高級な感じになった。あの時代、みんなブリキのおもちゃのようなフロントグリルが嫌だった。

それをわざわざ、プレスっぽくして、そうしたらレトロになると勘違いしているように、私には思える。

たとえば、私などでも、これから70歳代になって、もしエンジン付きに乗るとしたら、バイクなら250CC以下だろう。最高速300kmなどというのはまったく無意味だ。重いバイクなども願い下げだ。ところが250ccより小さい日本のバイクはどれも『せせこましい』。まったく乗ってみようかと言う考えもよぎらない。なぜ小排気量でカッコ良いものを作らないのか?これは、免許を取って最初のバイクがアメリカンというような女性も、やがてはそこへ到達すると思う。

さて、電気自動車ですが、私が考えるのはそのエネルギー交換率の問題です。エネルギー交換率と言うのはたとえば、火力発電は石炭や石油で40%~50%。これが天然ガスなら50~60%になる。それを燃料電池に貯めるということになるとそこから30%。さらには充電ステーションまで送電する間にロスが出る。最後にモーターで走らせるということそのものでのロスがある。

一方でインターナル・コンバスチョン・エンジン(爆発式内燃エンジン)の自動車の場合、ガソリンエンジンなら30%後半。ディーゼルならば40%台後半まであがる。電気自動車は発電から燃料電池、モーターまでに数段階『痩せ痩せゲームがある』ので、最終的にははじめからの10数パーセントだろう。

電気と言うのはものすごく贅沢なエネルギーなのだ。料理で言えば、どんどんそぎ落として一部しか使わないようなものだ。それが本当に地球規模で見て良いことなのか?私はそうは考えない。

隣国はあまりに環境汚染がひどく、電気にせざるをえないお家の事情がある。しかし、日本ではそれほど深刻ではない。存在する自動車の平均排気量が半分になれば、排出2酸化炭素は半分ぐらいまで落とせるわけで、これはもっと減らせる可能性がある。

日本はそうした方向を目指すべきだった。1960年ぐらいまでは、世界の国々が排出する2酸化炭素は自然が処理する両と均衡しており、汚染も深刻ではなかった。つまり、1950年代ぐらいのエネルギー消費レベルまで、日々の生活のエネルギー消費を落としてゆけば解決する。その際に白色電球をLEDに替えたり、複合エネルギー供給システムにすれば、生活のレベルはいまからほとんど落とさずに済むのではないか?そこにこそ技術を注ぐべきだろう。

隣国がジャンジャンクルマを作り、その背景にある思想は『日本を超える経済大国になること』だろうが、その思想自体がすでにカビが生えている。そのクルマがみんな電気自動車になり、それに電力を供給するのにお隣ではゲンパツ作りまくりだ。その一つや二つが制御不能にブッ壊れたら、汚染大気や有害なものはみんな日本へ流れて来る。今だって汚染物質がきているのに。農業も水産業も、息をする空気すらも危うい影響をうける。

それを後押しするべく、せっせと電気自動車を作って売って、隣国へ輸出しますか?

どうでしょうね。TOYOTAスポーツ800に今の最新の軽自動車のエンジンを載せて、ボディのあちこちに最新のケブラーやカーボン部品を使ったら、400kg切る軽さに出来るのではないか?北米の対衝突基準など無視すればよい。

北米式の対衝突基準はどうなのか?キングタイガー戦車とジューコフ戦車を正面衝突させるようなもので、果てしない話に思える。

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