シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」の中に、ブルータスやキャスカなどに刺されて息絶えたシーザーの前で、アントニーが名演説をする有名な場面がある。『なぜ、シーザーをいたむ気持ちを隠そうとするのか?』と畳みかける。最後に彼は巻物を取り出し、『ここにシーザーの遺書がある。シーザーの封印もある』と大群衆にそれを見せる。
『いや、読むのはやめておこう。この内容を知ったら、みんな誉れ高いブルータスらを恨むかもしれない。』
『開けて、読んでくれ!』
集まった大衆が声を揃えて叫ぶ。
『シーザーはローマ市民に、自らの屋敷と果樹園を市民の共有地として開放するように命じている。ローマ市民は憩いの場を与えられたのだ!それだけではない。最後まで聞け!市民一人ひとりに彼の遺産から現金を支給するように言い残した。これがシーザーだ!このような名君がいつ再び現れるというのか?』
みんなブルータスの演説を聴いてシーザーは暴君だった納得していたのが、これで一気に考えを改める。
『まわりの眼』を気にして言い出せなかったのが、大転換する。
この『まわりの眼を気にして、、』というのは、さまざまなところで見かける。たとえば、『アップハンドルに乗れば、腰も肩も首も楽だろうな、、』と思っても、一方で『他のひとに何と言われるだろう?』とか気にして、ドロップに乗り続けたりする人は意外に多い。
これは自分の信念に関わる部分でも、「はにかみ」のある人とない人の差をはっきりと見る。私の40年ほどの付き合いの親友は、ヨーロッパの王国の一つで聖職者なのですが、次の国王に王冠を載せる場面で、確実に彼はその場にいるはずだ。彼が儀式で王冠を載せる人になる可能性もある。その彼、礼拝している時の表情が、20代のころから実に良かったのです。
「ああはなれない。ちょっと彼はちがうな。」といつも感じた。そういう人はあそこまで登るのだな、としみじみと思う。
これは、宗教や国が違っても同じだと思う。自転車で神社仏閣に立ち寄ると、手を合わせている姿でだいたいその人がわかる。そこでも「はにかみ」が大きな役を演じている。はにかむ人は自分一人になっている時ですら、『磨き出しのこころになれない』。
この『はにかみ』であるとか、『他人の眼を意識する』ということはどういうことなのか?ということです。私は、ある年齢になったら、誰でもそこを抜け出ないといけないと思う。
これはキリスト教でも、仏教でも、神道でも、あるいは一切の宗教を信じない立場であろうと。
哲学者のバートランド・ラッセルがあるインタヴューで、若いころじつはものすごく宗教的で、本気でこころの底から祈っていたことがある、と語っていた。また、あれほど宗教が嫌いだったラッセルが、晩年、自然であるとか宇宙であるとかの神秘性・崇高性に対する畏敬の念を失った科学至上思想がはなはだしく不遜であり、やがてはそれが人類の存亡をも危うくする要因になりかねないと語っている。
これは最近の医学、AI技術、核兵器や生物化学兵器などに対する『ある種の危険な人たち』の言動と科学盲信をみると故なき危惧ではない。
さて、『祈る姿』の話でした。
現代社会、とくに日本では、団塊世代が科学万能、経済成長主義で教育され、宗教はすべて迷信、、、みたいな人がすごく多い気がする。その反動か、次の世代は、不思議なほど、おかしい「あらものシューキョー」にはまる。
『祈ってもダメな場合がある』というのは、私の長い人生でもよくわかる。遠藤周作の『沈黙』はそういうテーマだが、同じテーマは仏教でもある。法然さんが「与えられている宿業など、さまざまなことがあって、自分が受けた病は、いかなるさまざまな仏神に祈ったところで、それによってどうにかなるものでない。祈ったから病気もなくなり、命も延びるというのであれば、病気になる人も、死ぬ人も一人もいなくなるはずではないか。」と言っている。
これは、法然さんは多くの一般大衆の人生を見て、自分自身も祈ってはっきり得た感覚だろう。私自身、若いころ礼拝堂で祈り、無一文になって電車に乗る小銭もないほどまで喜捨し、路上生活者に毛布を配ったり、あるいは、のちには宗旨替えして(笑)護摩を焚いたりしても、どうにもならなかった体験がある。
これは、第三者が信心が足りないとか言える話ではない。ラッセルも法然さんも、瀬田川に身を投じようとした一休さんも、みんな本気だったことは間違いがない。
信念に耐える思想と言うのは、「この銘柄を買うと儲かりますよ」とか「間違いがありませんよ」ということで選ぶようなものではない。出世しない、貧乏することがわかっていても選択する生き方というものがある。
「はにかみ」もなく、一心にやって、それでもダメな時、そこで救われる思想というのが本物だろうと私は考える。最初の仏教で、『苦』はインドの昔の言葉『ドゥクハー』の音をとった。もともとの意味は漢字で我々が考える『苦』ではなく、『うまくゆかないこと』『思い通りにならないこと』という意味だったはずだ。
その思い通りにならない苦しみを離れる生き方というのはある。
自転車を軸とした生活というのも、自分にとってはそのひとつの柱であるという認識なのだ。
『いや、読むのはやめておこう。この内容を知ったら、みんな誉れ高いブルータスらを恨むかもしれない。』
『開けて、読んでくれ!』
集まった大衆が声を揃えて叫ぶ。
『シーザーはローマ市民に、自らの屋敷と果樹園を市民の共有地として開放するように命じている。ローマ市民は憩いの場を与えられたのだ!それだけではない。最後まで聞け!市民一人ひとりに彼の遺産から現金を支給するように言い残した。これがシーザーだ!このような名君がいつ再び現れるというのか?』
みんなブルータスの演説を聴いてシーザーは暴君だった納得していたのが、これで一気に考えを改める。
『まわりの眼』を気にして言い出せなかったのが、大転換する。
この『まわりの眼を気にして、、』というのは、さまざまなところで見かける。たとえば、『アップハンドルに乗れば、腰も肩も首も楽だろうな、、』と思っても、一方で『他のひとに何と言われるだろう?』とか気にして、ドロップに乗り続けたりする人は意外に多い。
これは自分の信念に関わる部分でも、「はにかみ」のある人とない人の差をはっきりと見る。私の40年ほどの付き合いの親友は、ヨーロッパの王国の一つで聖職者なのですが、次の国王に王冠を載せる場面で、確実に彼はその場にいるはずだ。彼が儀式で王冠を載せる人になる可能性もある。その彼、礼拝している時の表情が、20代のころから実に良かったのです。
「ああはなれない。ちょっと彼はちがうな。」といつも感じた。そういう人はあそこまで登るのだな、としみじみと思う。
これは、宗教や国が違っても同じだと思う。自転車で神社仏閣に立ち寄ると、手を合わせている姿でだいたいその人がわかる。そこでも「はにかみ」が大きな役を演じている。はにかむ人は自分一人になっている時ですら、『磨き出しのこころになれない』。
この『はにかみ』であるとか、『他人の眼を意識する』ということはどういうことなのか?ということです。私は、ある年齢になったら、誰でもそこを抜け出ないといけないと思う。
これはキリスト教でも、仏教でも、神道でも、あるいは一切の宗教を信じない立場であろうと。
哲学者のバートランド・ラッセルがあるインタヴューで、若いころじつはものすごく宗教的で、本気でこころの底から祈っていたことがある、と語っていた。また、あれほど宗教が嫌いだったラッセルが、晩年、自然であるとか宇宙であるとかの神秘性・崇高性に対する畏敬の念を失った科学至上思想がはなはだしく不遜であり、やがてはそれが人類の存亡をも危うくする要因になりかねないと語っている。
これは最近の医学、AI技術、核兵器や生物化学兵器などに対する『ある種の危険な人たち』の言動と科学盲信をみると故なき危惧ではない。
さて、『祈る姿』の話でした。
現代社会、とくに日本では、団塊世代が科学万能、経済成長主義で教育され、宗教はすべて迷信、、、みたいな人がすごく多い気がする。その反動か、次の世代は、不思議なほど、おかしい「あらものシューキョー」にはまる。
『祈ってもダメな場合がある』というのは、私の長い人生でもよくわかる。遠藤周作の『沈黙』はそういうテーマだが、同じテーマは仏教でもある。法然さんが「与えられている宿業など、さまざまなことがあって、自分が受けた病は、いかなるさまざまな仏神に祈ったところで、それによってどうにかなるものでない。祈ったから病気もなくなり、命も延びるというのであれば、病気になる人も、死ぬ人も一人もいなくなるはずではないか。」と言っている。
これは、法然さんは多くの一般大衆の人生を見て、自分自身も祈ってはっきり得た感覚だろう。私自身、若いころ礼拝堂で祈り、無一文になって電車に乗る小銭もないほどまで喜捨し、路上生活者に毛布を配ったり、あるいは、のちには宗旨替えして(笑)護摩を焚いたりしても、どうにもならなかった体験がある。
これは、第三者が信心が足りないとか言える話ではない。ラッセルも法然さんも、瀬田川に身を投じようとした一休さんも、みんな本気だったことは間違いがない。
信念に耐える思想と言うのは、「この銘柄を買うと儲かりますよ」とか「間違いがありませんよ」ということで選ぶようなものではない。出世しない、貧乏することがわかっていても選択する生き方というものがある。
「はにかみ」もなく、一心にやって、それでもダメな時、そこで救われる思想というのが本物だろうと私は考える。最初の仏教で、『苦』はインドの昔の言葉『ドゥクハー』の音をとった。もともとの意味は漢字で我々が考える『苦』ではなく、『うまくゆかないこと』『思い通りにならないこと』という意味だったはずだ。
その思い通りにならない苦しみを離れる生き方というのはある。
自転車を軸とした生活というのも、自分にとってはそのひとつの柱であるという認識なのだ。