美術とか哲学とか音楽とか建築をみると、『後に出て来たものが必ずしも良いとは言えない』。
ラファエッロは長いことヨーロッパ絵画のお手本でしたが、ドン・カスティリオーネの肖像を、はじめて本物を見た時(私と絵の間にガラスはなく、部屋には私一人でした)、『これはもはや絵画ではない』と言う気がした。
実際の人間がそこにいる気がした。それほどまでの存在感のある絵画は、ほかにはヴェラスケスの一部やルオーの一部の作にしか、私は感じたことはない。
あとから出て来た『ラファエッロばり』は、『写真みたいに見えるものはあっても、実物の存在感、存在の神秘にまで迫っているものはほとんどない』。
音楽でもそうです。このあいだ現代英国の作曲家のレクイエムを聴きましたが、まったく薄っぺらかった。『マーラーの大地の歌』のように東洋の詩をいれて、、、という、何かに寄り掛かっているのが透けて見えた。しかも、使われた日本の句や歌が軽薄な表面的な意味で使われていた。何百年も前の人の歌詞が多いのですが、歌詞に自作が使われた人は苦笑いどころか不愉快だろう。
決してトマス・タリスやウィリアム・バードの神秘性には到達できていない。
昔、ある雑誌に330(車のモデル名です)を持っているオーナーのインタヴューがあって、『自動車は1967年ぐらいで終わっている』と発言していたのが、やけに記憶に残っている。だからこうして半世紀近くも経って、いまだにそれがどういうページに載っていたか覚えている。私もじつはその時、その通りに思えたからでした。
その頃、友人たちの父親でクルマ会社に勤めている人がいたので、さまざまな日本のメーカーのカタログや社内誌をもらった。今とまったく違う様子がありました。『会社がひとつのライフスタイルが出来るようにさまざまな遊びやレジャーを応援していた』。豊太は社員向けに山荘を貸し出し、ヨットやグライダーもクルマの趣味の先に据えていた。今はなんだか「黒塗りのジェット坊徒」にクルマの名前を付けていますが、それは商売でしょう。
作るものの先に、どういう生活が「そのモノならできるのか?」が見えるものが激減した。
某雑誌の偏酋長サトヘンは若いころバイクで北米を横断している。これは自転車でも、かつては『北米横断に使った』ことを広告に書いていたサイクラー・トリップのような車両があった。
いま、「それを手に入れれば、ユーラシア大陸を横切って、ヨーロッパまでも走れる」という乗り物があるだろうか?
あるいは、ひとつの「それでなければできないライフスタイル」を持ったものが?
どうでしょうね、いま、お盆のUターンで、40kmとか60km渋滞とか、もっと渋滞することも珍しくない。昔は、お盆の時期、大月までしか中央高速が出来ておらず、ずっと片側のみの登りも下りも対面交通でした。それが高尾を抜けると上り・下りが別れて車線が増えた。そこで一気にみんな飛ばして、調布の出口は渋滞していなかった。せいぜい300m~400mの渋滞。
そういう環境で使うクルマは楽しかったし、良いクルマにはそれなりの「ねうち」があった。
竜王バイパスにあったレストラン=喫茶、Holidayはレストランの方は本格的なヨーロッパ料理がシャレ―風のインテリアの中で食べられ、喫茶のほうは美しい山を背景に、駐車したクルマが席から眺められるように建物が出来ていた。そこへ良いクルマを停めて、珈琲を飲みつつ、雑談して『美しい機械を愛でる』。
いまとは趣味のスタンスが違った気がする。
1960年代、『夏は避暑』と、別荘へ行く人は少なくなかった。別荘のない人は民宿へ行った。どうでしょうね。今の日本の20代、30代で、そういう習慣を持っている人がいったい何パーセントいるだろうか?
私は長野の山荘から自転車で禅寺まで走って行って泊まったりしていた。私は大学時代から、その『別荘』を、『英国行き』にシフトさせたと言えるわけです。
誰でも家族に高齢者が出たり、病人が出たりすると、別荘も考え直さなければいけない。私はその時、ある意味、『英国と言う別荘』をあきらめていまにいたっている。
英国も変ってしまったし、あまり未練はない。さて、日本は?やはり変わって来ている。このところ病院への往復に自転車を使っていたのですが、この道ばかりは幹線道路しかない。ロードの人たちのようにクルマと一緒に走るわけですが、空気がひどく悪い。身体に毒だと思う。
隣国や中東、インドなどから比べたら大気汚染はないほうだというが、1960年代から比べると、自転車乗りが吸わされている空気はずいぶん質が落ちている。
気が付けば、時代はとうの昔に区切られてしまっているようにみえる。
ところで、私は最新型のクルマが「サイズ的に引き締まっていない」のが気になって仕方がない。ベレットとかサニー1000とかじつに良いサイズ感なのですが。最新の蔵雲も日本の道路で乗るとデカい気がする。しかもナビの画面の中にタッチスイッチが入っていて、手探りで操作が出来ない。画面が大きいのが明るくて鬱陶しいので、暗くすると地図が見えづらい。つまり趣味のクルマに乗り継いでいない人がカタログスペックだけで型チェンジをやっているのではないか?
日本も危ういと思いますね。